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☆2月の京都 * 北野天満宮の臥牛像・紅白梅

2022-04-28 | ♥京都・奈良の旅

印象的な赤目の牛

 

 

平安時代、時の右大臣であった菅原道真は、左大臣藤原時平の陰謀により

醍醐天皇によって大宰府に左遷(昌泰の変)させられ

延喜3年(903年)、無念のうちに亡くなった

 

その後、都では次々に奇妙な事が起こりだした

藤原時平は不慮の死を遂げ、清涼殿に雷が落ちて死者を出し、衝撃を受けた醍醐天皇は病に伏す

平安楽土であったはずの都は水害、干ばつ、流行病、飢饉と相次いで災害に見舞われた

当時の都人は、この奇怪な出来事のすべてが道真の怨霊のなせる業だと信じ

複数の託宣があったこともあり、鎮魂のために北野に天満宮が建立されました

その畏怖の念は雷神・天神信仰と結びついて、全国へと広まっていきました

 

 

北野天満宮

北野天満宮

北野天満宮(きたのてんまんぐう)は梅と紅葉で有名な京都の神社です。菅原道真公をお祀りした神社の宗祀であり、「天神さん」と呼ばれ、親しまれています。アクセス方法・...

北野天満宮

 

 

 

 

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「臥牛(がぎゅう)」

 

梅の開花期に北野天満宮に参りました

境内を歩いていると、目に飛び込んでくる

菅原道真に縁深い牛の像

すべての牛は「臥牛(がぎゅう)」

どれも牛の巨体に合った大きな涎掛けをかけて横たわり

背中にはピカピカ輝いている個所があります

 

 

それは「撫牛(なでうし)」
 
 
北野天満宮において、牛は神使であるとされます

「御神牛」の頭を撫でると知恵が授かるという信仰もあるらしく

学業のみならず、ボケ防止の願掛けも多いとか・・・

 

 

 

 

 
牛像が多いのには
 
■菅原道真が丑年生まれで、亡くなったのも丑の月の丑の日
 
   ■菅原道真公が農耕の神とされることからシンボルに牛が選ばれた
 
■牛を飼い、大切に育てていた
 
  ■命を狙われた際に何処からともなく牛が飛び出して命を救った
 
など諸説あり
 

 

 

臥牛像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撫牛(なでうし)

撫牛と子牛を伴った母牛像

右下に子牛が、母牛を見ています

 

 
 
撫でることで得られるご利益
 
「諸病平癒」「学業成就」

 

 

花手水舎の牛

 

 

 

梅花祭開催中

 

 

 

 

京都の菅原道真の邸宅には、たくさんの梅が植えられ 紅梅殿・白梅殿と呼ばれていました

大宰府へ移動する際に、幼い頃より親しんできた紅梅殿(こうばいでん)

の梅に向かって読んだ和歌が有名です



「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」


(春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。

主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また戻ってきました

 

観光客に囲まれていたのが、こちらの赤目の牛

他の「撫牛」とは違い、印象的な真っ赤な目をした牛臥
 
目が赤い理由は、菅原道真のお供であった牛が
 
「瞬きもせず一心に道真公を待つあまり目が真っ赤になった」
 
「参拝客の願いを徹夜で聞いてくれるから」などの説もあるそうです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に少し狛犬

京都市内で最も大きいといわれる大鳥居前の狛犬は

日本画壇の巨匠・竹内栖鳳(せいほう)が考案したもの

2頭の狛犬だが、片方が「狛犬」で、もう片方は「獅子」らしい

 

阿形が獅子

 

 

吽形が狛犬

北野天満宮と狛犬の起源〜古代オリエントから日本へ渡った神獣 ...

 

 

 

※ ※ ※

北野天満宮の中には牛像がたくさん鎮座しています
 
(一説には40頭を超え、これから奉納されればまだまだ増えますね)
 
 
 

記:2022.4.28

 

 

 

 


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