maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



ワクチンやロックダウンなど、コロナにおいては欧米が世界をリードしている。
成功しているかは別として・・・
(でもアメリカは一枚岩ではないが)
中国は粛々と今まで通り、五輪の為にはメンツにかけて
抑え込もうとするでしょう。

自分たちが正しいの一点張りになっていて、
異なる価値観とか認めない全体主義的な思考は、一神教のキリスト教的かなと思う。
ヴォルテールの寛容論にもあるように、
かつてはキリスト教のカトリックとプロテスタントで、
元は同じ宗教とは思えないほど憎しみ合い、互いに攻撃しあい、
人の命もなんのその、という時代があった。
その頃のフランスの民衆は、自分たちと異なる宗派の人が処刑されるのを、
お祭り気分で見物していたそうな。

そのうち、当時の知識人たちの活動もあり、それらが是正されていくにしても、
今でも、自分たちの宗派、宗教、国が正しいと思っていて、
それを押し付けてくる感じが、人権問題、環境問題や動物愛護、
そしてコロナに置き換わったのかなと、個人的に考えているけど、
果たしてどうなんだろうという事です。
もちろん、全部がダメではなく、程度の問題としてです。

歴史的にみても、キリスト教以外は認めないし、自分たちが最高だと思っているし、
アフリカやアジアなんて野蛮人と思っていて、
あの自由論の著者であるJ.S.ミルにしても、著書の中で、
中国がアヘンを禁止したのはけしからんという考えを持っていたり、
自分たちの考えを押し付ける癖は強い。
人権だ、分断けしからんと言ってるアメリカだって、
大学入試でアジア人差別してたり、何かあればアジア人に
暴力を振るうのを止めようとしない。
不思議と、それに文句をいう日本人は少ないな・・・

そんな欧米人は、人間は何でも乗り越えられる、自然もコントロールできると
考えているようで怖い。
彼らにとっては、
「ああすればいい、こうすれば可能だ、
なのに何故やらない? お前らもやれよ!」
という上から目線スタンスのままだ。

冷戦時代や湾岸・イラク戦争なども、
大儀に民主主義の価値観を広めるというのをあげていた。
その地域性や歴史などは認めないのだ。

そして、ゼロコロナだったり、ワクチンだったり、ロックダウンだったり、
なにかをやって成果を出すという事に執念を燃やす人たちが目立つが、
それも感覚として似ている。
イスラエルでは早くも4回目の接種になるそうだ。日本人で良かった。

実際には、ワクチンもロックダウンも効かない。
むしろ、やればやるほどボロが出る。
この、”何かをしなければいけない”病は上手くいくと結果を出すのは事実だけど、
だからと言って、コロナについてはそろそろ軌道修正しなさいよ。
なんだか、凄く臆病な、人間の持つ力を信じられないという
病を患っているのではないか?
結局、コロナは心の病という事につきる。

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