ひとりの理想主義者もいない日本的意識の日常性と、ヨーロッパの負の反復
高田博厚は、真の理想主義者は日本にはひとりもいないと言いきっている。ぼくも、多くの日本人は条件反射的に、理想主義と言うだけで甘いと反射実験用の犬のように吠えることを、経験している。つまり日本人は、自己が行動することが思想であること、理想と結びついていることが、解らない。だからデカルトの原理命題「コギト エルゴ スム」の、思想即行動であることの意味が解らない。じぶんが甘いことを認める代わりに理想主義が甘いと吠える。ヨーロッパの理想主義は、たとえばロマン・ロランの軌跡が示しているように、むしろ悲劇的闘争の連続である。いわゆる現実も、理想が格闘しなければ、真の現実ですらないのである。
その高田が、ヨーロッパの第一次世界大戦へ至る過程は、第二次世界大戦後の、当時における「現在」までの過程と酷似していると書いている。第三次世界大戦の危機意識は多くの人物たちにおいてずっと維持されてきた。それが、現在における「現在」まで引き延ばされてきたということだろう。事実としては欧米はずっと戦争をやってきた。それがG7なのだ。正義の旗振り役の意味はそういうことである。文化的には斯くも偉大なヨーロッパは、政治によって破壊された。再び破壊されようとしている。自業自得である
高田博厚訳「ジャン・クリストフ」 訳者解説を読んで