ほんとうはおそろしい哲学者
ぼくは いつも いつか言ってやろうと思っていることが充満してある。哲学者であるということは、人並みはずれて自制心がある者のことだろうが、同時に人並みはずれて厳しい観方をさまざまな事象や人間にたいして懐いている者であろう。なぜなら彼の観方は根源的であろうから(そうでなければ哲学的とは言えない)。つまり彼、哲学者は、黙って平静にみえていても内部は誰よりも烈火そのものなのだ。
余談になるがこれもほんとうらしいことだと気づくことを書いておく。ぼくはほんとうに きらわれる人間ではないだろう。ぼくに にくまれ言を言う者でも、その根底にはぼくに好感をいだいているのが、他とはちがうのだ。きらいではないし、同時にかなわないと おもっているので、その屈折した感情が にくまれぐちとなるのだ。つまり、ぼくに甘えているのにほかならない。だがぼくの実体は上のとおりなのである。舐めた相手を焼き殺すことと、つまらんから相手にしないこととの間を、表裏行き来している。