間もなく午後11時、寝台特急「銀河」が東京駅を出発、最後の旅に出るそうです。
はるかな昔、夜中の京都駅から寝台に乗ったことがあった。
何故わざわざ寝台列車に乗ったかというと、目一杯京都にいたかったのと、若くてお金がなかったので、少しでも安いほうが良かったからだ。
今、娘がちょうど同じ年頃だが、彼女たちが寝台列車に一人で乗るなどど言ったら、「やめなさいっっ!」となるのだが、私の場合、止めてくれる人がいなかった。
当時父は仕事で家を空けており、祖母と母ときたら寝台列車などに乗ったことなどなく、二十歳そこそこの娘が一人で乗るものではない、ということを知らなかったのだ。
もちろん、当の本人である私も。
京都駅出発は午前0時をまわるので、それまでどこに居ようか。
実際に日が暮れてから、私は途方に暮れた。
駅前で一番遅くまで営業している喫茶店は10時まで。
今ならもっと遅くまで営業している店があるのだろうが、なにせ20年以上も前のことだ。
それ以降は駅の待合室で過ごすしかなさそうだ。
夜行以外の電車はどんどん最終が出てゆき、あとは夜行に乗る乗客ばかりが残る。
私くらいの年齢の人は殆どいない。女性もカタギに見えるような人はいない。
私は女で、半分子どもで、カタギである。
やばい・・・・・・。
しかし、なめられてはまずいし、家出娘に間違われてもコトだ。
私は「寝台列車なんか、乗りなれてます~。旅行の足はいつもコレだもん。」と顔にかいてあるように見えるよう、精一杯の虚勢を張った。
やがて時計は0時をまわり、緊張の時は過ぎた。寝台列車に乗り込む。
・・・・・・、オッサンばっかりじゃん!(当たり前だ)
新しい緊張感よ、ようこそ~。
誰も話しかけるなよオーラを暴発しながらきっちりカーテンをひく。
自分で、播いた種は自分で刈り取らなくてはならぬ。朝まで頑張るんだ!
でも、わりとちゃんと寝たのよ。なんちゅう度胸。
やがて、朝が来て、小田原駅に降り立ったときの嬉しさ。
あとは勝手知ったる小田急線、目をつぶっていても帰れる。
この話を祖母と母は知らない。言えませんて!
私の乗った列車はなんだったのだろう。
調べてみたら、昭和55年当時、大阪発23時10分東京行き寝台急行「銀河」というのがある。私が京都に行ったのは昭和55年ではないので、多少のダイヤ変更があったのかもしれないし、銀河ではなかったかもしれない。
昔は寝台列車の数も多かった。
時の流れとともに寝台列車はゴージャスになり、私のように節約目的で乗る列車ではなくなった。
あ、いつの間にか11時がすぎ、もう銀河が東京を離れたな。
東京駅ではさぞかし大勢の鉄男くんたちが見送ったことだろう。
今、横浜、大船間を走っているそうです。そこ、神奈川県はわたしが青春時代を過ごしたところですよ。
さようなら、銀河。