私はある日、子供達二人を呼んで、並んで座らせた。
「ママね、大事なお話しがあるの。」
いつになく神妙な顔で、私は切り出した。
子供達は目を大きく開いて、
「なあにぃ~?」「なに~?」
ニコニコわくわくしながら言った。
「あのね、ママとあなたたちは、
春にこのおうちに引っ越して来たよね。」
「うん。」「うん。」
「ママは、ずっとパパのことで悩んでいて、
すっごくしんどくて、いっぱいお話し合いをしたんだけど、
もう一緒に暮らせないってことになったって、
それは話したよね?」
「うん。」「知ってる。」
「ママね、今までずっと必死だったのよ。
必死って・・・えっと・・・
すごくたいへんだったわけ。
だから、あなたたち二人に、
ちゃんと教えないといけないこと、
おしえられなかったのよ。」
「どんなこと?」「おしえて?」
「うん、いいかな?
たとえば、ちゃんと人の話を聞くとか、
ほかの人に迷惑をかけてはいけないとか、
ごはんの食べ方とか、
いっぱい、いっぱいいろんなこと、
二人におしえなかったのよ。
でも、そういういっぱいのルールは、
ちゃんとできないと、
大人になったら困ることばかりなの。
りっぱな大人になれないことばかりなの。」
「ルールってなあにママ。」
「うん、お約束ね。世の中にはいっぱいお約束があるの。
そのお約束をたくさん知っている子供が、
りっぱな大人になれるのよ。
お約束をちゃんとできない子供は、
お友達もできないし、りっぱな大人になれないの。」
「そうかぁ。ルールかぁ。」
「うん、これから頑張って、
二人ともママの言うこと聞いてくれるかな?
ママはすごく恐いママゴンに変身して、
あなたたちのことを叱るかも知れない。
わかってくれなかったら、
叩くかも知れない。
それでも、子供達のことがすっごく大事だから、
そうするんだって、わかってて欲しいの。
どんなことがあっても、
ママはあなたたちが大好きだから。
しなくちゃいけないことができなくても、
いっぱい大好きだから。」
「うんボクわかったよ。」
「あたしも、ママ大好き☆」
「ママと一緒に、これから、ルール守れるかな?」
「できるぅ~☆」「まもるぅ~☆」
何やら真剣に母親が話すものだから、
子供達も神妙に聞いていた。
その日から、我が家に存在していた全てのルールのレベルが、
いきなり「低」→「高」へと変わった。
本当にいきなりだった。
昔から私はいいと思ったらすぐにやる方である。
毎日嵐のように叱った。
叱っても叱っても、目を逸らし、
聞き流そうとする息子の顔を掴んで、
「ちゃんと聞きなさい」と言って叱った。
踊りながら聞く娘には、
正座をさせた。
それでもテレビを見ようとするので、
別室で叱った。
私は、以前なら、許していたことを、許さなくなった。
「はいはい~」と聞き流されて、
果たされないことがあれば、
仕方ないなぁと後で私が片付けていたが、
それ以来、
注意したことは絶対に最後までさせた。
(たいしたことではない。
おもちゃを散らかしてそのままとか、
お菓子を食べたあと散らかしたままとか、
そんなことを注意しても聞き流すのを
ちゃんとできるようにするのにとても時間を要した。)
私が叱るとき、
子供達は目をそらす。
テレビを見て、壁にもたれたりすることもある。
こんなのじゃ、学校の先生が苦労するじゃあないか。
「人が話しているときは、ちゃんと目を見なさい!」
そんなところから、始まった。
ちゃんと目を見ても、
明らかに聞き流して、他のことを考えている息子に、
「今ママが言ったこと言ってご覧。」
そう言ってみる。
ちゃんと聞いていないから、言えるはずがない。
「外に出て思い出しなさい。」
外に立たせて、思い出すまで入れないこともあった。
食事のとき、何度も立ち上がる。
立ち上がったら、取り上げる。
早食いがやめられない息子を、
皿を引いたり出したりしながら何度も叱った。
犬食いをやめられない息子に、
正座をさせて食べさせた。
今度ちゃんと食べられなかったら、
自分の部屋で一人で食べさせると言って、
ちゃんと食べられなかったから、
本当に子供部屋で、鏡を前に置いて、
一人で食べさせたこともある。
外でのマナーを守れないときは、
とっとと途中で帰ってきた。
お買い物に行きましょうと言って、
スーパーの中でふざけたり走ったりしたら、
即刻お買い物を中断して、家に帰ってきた。
車で、マクドナルドに行く最中に、
何度注意しても後部座席から顔を出すから、
Uターンをして家でトーストを食べたこともあった。
楽しい行事も、自分達の振る舞い次第で、
台無しになってしまうと知り、
ママは融通が利かなくなったと思いつつ、
子供達は自分なりに、
してはいけないこと、について学んだ。
少しずつではあるが、
ママがダメということは、世間でもダメなんだ、
迷惑をかけるっていうのは、そういことなんだと
学び始めていた。
もともと「甘い」私である。
その合間には、
スキンシップたっぷりで優しく接していた。
自分の中でも、メリハリがつくようになって、
少しずつ愛することと叱ることに慣れてきた。
もちろん叱った直後にニコニコすることはなく、
ママはこのことは許さないという態度を徹底的にとったし、
そうでないときは、
体いっぱい使って遊んだ。
それでも、
今まで許されたことが、許されない。
今まで叱られなかったことで、叱られる。
子供達はさぞ苦しんだだろうし、
迷っただろうし、悲しかっただろう。
私も、依然叱ることに対して罪悪感が残っていたから、
叱りながら泣きそうになった。
叱ることから、逃げたくなった。
でも、逃げてはいけない、
子供達のためにならない。
悩んでは叱り、叱っては悩んだ。
3人家族で、近くには誰も親しい友人がいない。
それはとても孤独な戦いだった。
そんな頃、
当時彼氏になったばかりだった今の夫に、
子育てに関する悩みを打ち明けた。
私は話しているうちに悲しくなって、
ポロポロ泣いてしまった。
「どう思う?私って酷い母親よね?」
「何言ってる?
何もしない方がよっぽど酷いよ!
何も知らずに成長するほうが、どれだけ恐ろしいか!
今いっぱいいろんな事件が起きてるじゃない、
それは、自分のことしか考えない子供が増えているからだよ。
辛抱ができない子供が増えているからだよ。
他人の痛みがわからない子供が増えているからだよ。
迷っちゃいけないよ、迷わずに叱らないと、
子供が迷うよ。
そんな弱いことでどうすんだよ、
子供達のために正しいことをしてるんだからさ、
自信持てよ!」
「そっか・・・」
「もっと、堂々としてていいんだよ、
母親なんだからさ、
ママについてきなさいって、
強いママでいいんだよ!
な、まっち~、
どこの世界に、子供の機嫌取りながら、
よかったら言うこと聞いて下さいって親が居るよ?」
「うん、でもな、
叱るの禁止されてたしな、」
「そのことは、もう忘れなきゃ!
子供はさ、順応するの早いよ。
三つ子の魂とか言うけどさ、
三歳までアメリカにいたら、一生英語はなせるんかって、
そうじゃないじゃん?
今から正しいことをちゃんと教えてさ、
親も正しく生きていればさ、
ちゃんといい子に育つよ、大丈夫だよ!
いつまでもまっち~が「前」のことを引きずるから、
子供達も前を引きずるんじゃないか?
子供ってさ、今しか見てないし、先しか見てないよ。
俺達と違うんだよ。」
「・・・そっか、頑張るわ私・・・。」
「俺、まだまっち~の子供達に会ったことないけど、
今度会ってみようかな?」
「ううん、うちの子、嫌われそうで恐いわ。
今、私、自信ないんよ。
私が自分ですることだから、自分でやってみる。」
「んなこと言うなよ、今度どっか公園でも行こうよ。
いいじゃん、ママのお友達のにいちゃんで。」
「にいちゃん?」
「そうそう。おじさんって呼ぶなら会わない!」
二人で顔を見合わせて、笑った。
離婚まもない時期に、
子供達を父親以外の男性と引き合わせることに抵抗はあったが、
私は「にいちゃん」と子供たちを引き合わせることにした。
ある晴れた休日に、
私は4人分の弁当を作って、公園に行く用意をしていた。
遊具のたくさんある公園に、行くことになっていた。
子供達を呼んで、こう言った。
「今日はね、ママのお友達と一緒に公園に行きます。」
「いやったぁ~☆」「わあーい☆」
「で、ママのお友達は、男の子です。」
「そうなぁん?」「わかったぁ☆」「どこ行くの?」
「○○公園です!」
「いやったぁぁぁぁ!!!」
彼氏が迎えに来た。
子供達が乗車した。
「こんにちは~」「こんにちはぁっ☆」
この4人が近い将来、
同じ屋根の下で暮らす家族になろうとは、
誰一人想像しなかっただろう。
けれどこんな風に子供達は、
将来のおとうさんと出会った。
「じゃ、行こうか。」
彼氏の運転する車で走り出した。
その日一日を遊んで過ごして、全員疲れ果てた。
帰りに近所のスーパー銭湯へ行き、
また家に送ってもらって彼氏と別れた。
夜帰ってから彼氏から電話があった。
「あのさ・・・どうだった?」
「うん。・・・言いにくいけど、
まっち~の言ってる通りだった。」
「って?」
「いろんな意味で、大変やなあって!」
「うん、そうかぁ・・・」
「大丈夫、きっと、よくなるよ、
まっち~頑張ってるじゃん!」
「治るかな、ホントに・・・」
肩を落とす私に、カラッと彼氏は言った。
「これからは俺も協力するよ、
実は俺、少年野球のコーチしてたんよ。」
「そうなんや!」
「根気よく育てたら、子供達は変わるって知ってるよ。
大事なのは、諦めないことやと思うよ。
一緒に頑張っていこう!
今なら間に合うよ、大丈夫だよ。
あの子達は悪くないんだから、
なんとかしてあげなきゃ、ダメだよ。」
持ち前の正義感が騒いだのか、
そんな歴史を持つわが子たちを不憫に思ったのか、
以来当時彼氏だった今の夫は、
頻繁に子供達と私を、連れ出してくれるようになった。
連れ出して、帰宅したあとに電話で、
あの時のああいう言動は、ちゃんと注意した方がいいとか、
あの時は誉めてあげて正解だったとか、
私達はいつしか子育てについて語り合うことが増えていた。
子供の欠点を言われて、感情的になって、
私が泣き出す局面もあった。
自分の子供じゃないから、かわいくないのかと、
八つ当たりしたこともある。恥ずかしい限りである。
彼氏は一貫して、信条を替えなかった。
子供のために、教えるべきことは教えるべきだ。
まっち~は一人親なんだから、
逃げてはいけない。
甘えてはいけない。
強くならなきゃいけない。
励ましながら、叱咤しながら、
短い間に私は、随分自信を持って叱れる母になった。
いつしか娘が、願い事として、
「にいちゃんが、おとうさんになってくれますように☆」
などと言うようになった。
息子も、間近で彼氏を見て、
強くて優しい人だといつも言うようになった。
どんな人間になりたいかというと、
にいちゃんのような人になりたいと言う様になっていた。
経緯をかなりすっ飛ばして話すが、
離婚したばかりで、再婚などずっと先と思っていた自分が、
早期の再婚に踏み切ったのは、直接的には
「日記男」のお陰ではあるが、
そんな夫と早めに同居することが、
子供達にとっても、とてもいい影響をもたらすだろうと、
私が心で知っていたからというのが一因、
というのも事実である。
話が今の夫とのことに脱線してしまったが、
今も私は、
「愛することと叱ること」を中心とした育児を、
子供達と真剣に向き合いながら、実践中である。
今も多くの育児書に、
「叱らず誉めて育てる」
という記載を見つけるたびに、私は思う。
それは健全な家庭環境でこそ成立する子育てであって、
私の居た、王様が居るようなモラ家庭においては、
今の時代には通用しないような、
自称王子様や自称王女様を育て上げてしまう、
恐ろしいシステムに直結するようなものだと思う。
子供は、見たままを信じる。
見たように、同じように、家庭を再現しようとする。
自ら家庭を持ったときかつてモラのある家に育った子供は、
「王様」か「奴隷」のいずれかを演じるようになり、
ずっと生き辛さを抱きながら生きていくことだろう。
私が40歳になるまで苦しみ続けたように。
わが子たちは、
育児の困難なモラの居た家では放置され、
今は健全な環境できちんと育てられている(と思う)が、
王様の影響がまったく抜けたとは言えない。
とても当たり前の育児。
あいさつをする。
大人の言うことをちゃんと聞く。
人の話をちゃんと聞く。
食事はちゃんと食べる。
人に迷惑をかけないようにする。
思いやりを持つ。
人の痛みがわかる人間になる。
母親として、当たり前のことが、できなかった。
当たり前のことを、しなさいと言えなかった。
育児は何が正しいかわからないと言われるが
母親である私に欠けていた事は
育児に不可欠である「厳しさ」である。
子供達に対し、
過去の心の弱い自分を心から申し訳ないと思うと同時に、
ここからは後悔しない育児をする、と誓う。
狂ったモラルから、命がけで子供達を守る、と誓う。
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思い出します、DV夫の機嫌を伺いながら(苦笑)、コドモを叱った日々を……。ホントあの生活は大変です。。。
保育園や学校の先生から「DV家庭の子に見えない・優しくて思いやりがある・気が利く」などの評価を聞くと、大袈裟でなく全身の力が抜けるほどホッとします。同時に、気を抜いてはいけないと思うんです。
いま、いい環境・いい習慣・いい経験・楽しい日々を、過去に上書きしています。
>ここからは後悔しない育児をする、と誓う。
>狂ったモラルから、命がけで子供達を守る、と誓う。
大切なのは“ここから”なんですよね。
わたしも、やり続けます。
モラハラから脱出できない方に、まず一番最初に見て頂きたい項目だからです。
とにかく、まっち~さんのようにお子さんの事を必死で全力で守ってあげて欲しいからです。
辛抱強く、けなげな被害者の方々は、皆、辛抱しすぎます。
だけど、それがどれだけ子どもに悪影響を与える事か。
もちろん、ご自分の人生のためになんだけど、子ども達のためにも辛抱し過ぎちゃいけないんだって、最初の時点で知って欲しいんです。
どうぞ、よろしくお願い致します。
私は、失礼ながらモルハラと切り離しても、今回書かれていたような育児に全てではないのですが、共感が出来きない部分がありました。もちろんその部分は私の勝手な個人的見解であるのでいちいち書きませんけれど、失礼なことを書いて本当にごめんなさい。
モルハラやDVには共通点がたくさんあります。けれどモルハラと育児にもイメージなどが画一化され、誤解を招くこともあるのかな、と感じてしまい書き込みました。
共感しているお母さんは多いことでしょう。私も共感する部分はあります。けれど、育児やしつけが、ある方面から「これがモルハラの影響」などととされてしまうと、モルハラの悪影響の画一化のような危険を感じます。
もちろんまっちーさんの夫さんやそれまで取り巻いていた環境はおそろしいモルハラだったことはまちがいないと
拝見して重々承知の上です。
こどもを命がけで守るには甘やかすだけではいけないということは私も理解して読みました。
ブログランキングからきました。
個人的に非常に興味がある内容なので
(興味本位ではなく)
これからじっくり拝見させて頂きます。
よろしくお願いします。
そうちゃんと言ってくれると心強い。
確かにモラとの生活では、子供のしつけは
できません。
そこには力関係を必死で築こうとするモラが
いて、その中で思いやりとか相手の気持ちを
汲むとかっていう人間関係の基本が
身に付かない、というより、逆のパターンで
刷り込んでしまう。
ご飯の食べ方だってそう。こっちが子供に
注意すれば、「お前は子供にいばりたいだけ
なんだろう」とか。
おかずを並べて、私が席についたら、
私のおかず(その時はトンカツ;;)の
中心の部分だけ、モラが既にむしゃむしゃ
食べてたことも。本当に見苦しい。
私は残飯みたいなお皿を見て、
すごく嫌な気分でした。
そんなの子供に学習されたくない!
その他たくさんありましたが、
まっち~さんの記事で思い出しました。
よくわかります。
わたしは
「どっかにモラ夫といっしょにいる子供をキチン育てなおす方法ってないかなあ」
なんて、虫のいいこと考えてます。
でも、別居できない状態で子供育てるのは
大変です。
自分で混乱してるんですもの・・・・・
ほんとに別カテゴリにしていただきたいです。
トラバさせていただきたいくらい・・・・
私の一番のテーマです。
うちのバタモラは厳しいので
ほんとに混乱します。
最近の子供たちは叱られなれていないとおもいます。
それはモラ親だからとかそういう話ではなく、
ある時期から「友だち親子」などという、傍目からみてもおかしい関係を気づこうとした結果だと思います。
そしてそれがニートだの引きこもりだの振り込め詐欺だのという世の中を作る原因の一つになっているのではないか?と思います。
ぜひ叱ってください。愛情のある叱りは決して体罰ではありません。
時にはいいとさえ思っています.
ただし,それだけの信頼関係を築いていることが前提.
信頼していない人間に殴られたら暴力です.
殴った理由を察することができなくても暴力です.
そして大切なのは,叱る(否定)だけでなく,
愛(肯定)して初めて効果があるということ.
この頃までは否定と肯定のバランスが
崩れていたようですが,必死にバランス感覚を
取り戻そうとされている姿にただ感心するばかりです.
大丈夫,まっち~様の子育てが正しいのは,
まっち~様が一番よくわかっているはず.
お子様が真っ直ぐ育っていることが何よりの証拠です.
これからもその信念を貫いて下さいね.
別居してから母と兄には、私のしつけが悪いというようなことを言われつつ、大人たち三人がかりで、娘のしつけに奔走しております。
どこまで叱っていいのか、その加減も難しいなあと思って悩んでいますが、まっち~さんのエピソードを読んで、悩んだときはまた思い出させてもらおうと思います。