日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

日限山4丁目は、本当に「できない、やらない」老人の町になった

2024年03月26日 | 社会

日限山4丁目は、1972年、京急が売り出した大規模宅地造成地で、戸建住宅の町です。51年前にできた新町です。当時、主に東京で働いていた30代のサラリーマンが、移住してきました。

当時は女性は主婦が多く、自治会の役員の仕事は主婦が主に担い、土日の西洗公園掃除、夏祭り、防災訓練、墓地反対運動などの行事・運動は、夫も協力したので、日限山4丁目は、「できる、やる」人の町でした。

30代は団子状で歳をとっていきました。

2005年頃、老人とは65歳以上という通念が日本で広がり、日限山4丁目では自分は老人と思い、老人は「できない」という思いに取りつかれた人が急速に増えました。自治会の役員(当番制)になった人は、町の行事・運動は、「できない、やりたくない」と合唱するようになりました。

当時の自治会長は、自分まで「できない、やらない」病にとりつかれ、今から思えば、70歳前後の「若さ」で、日限山4丁目は高齢化の危機と叫んでいました。

2005年頃は日限山いぶき会(西洗自治会老人会)は比較的元気老人が会員になっていたようで、公園掃除、夏祭りなどは、役員達を叱咤激励して頑張っていたようです。自治会長はいぶき会が出していたようです。

しかし、2010年頃になると、いぶき会の会員も高齢化を体で感じるようになり、行事の企画実行に乱れが生じてきました。自治会長を出す力も失っており、いぶき会長を誰がやるか問題になるようになってきました。

ここで西洗自治会は、町の行事について、いぶき会だけに頼らず、町に広くボランティアを募集する方針を採用しました。これは大成功で、高齢の町にもかかわらず、元気老人プラス若い人が行事に協力するようになり、夏祭り、防災訓練は復活しました。約10年、高齢に負けない元気な町が続きました。

しかしなぜか役員会自身は、高齢化で、「できない、やらない」病がひどくなり、2020年頃になると、町のボランティア起用意欲も減退し、運が悪いことに新型コロナウイルス流行で、行事の開催が遠慮され、本当に「できない、やらない」町になってきました。つまり本当の危機が訪れました。

この町の第一世代は今や80代です。本当にできません。やれません。町には「できない、やらない」雰囲気が満ち、まずい状態です。

第二世代は人口が少ない上、共働きが多く、町の行事・運動企画実行は大変と思います。しかし、世代交代は避けられません。

第二世代が主役となって、町のボランティアを募集起用し、できることを確実に行い、町の元気を取り戻してほしいと思います。

まだ元気な老人は、第二世代に協力したいと思います。

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