ハクサイとコマツナの種を播いたところなのですが、氷点下になるかもしれないこの寒さじゃどうなるでしょう。
昨年は雪解けまでうまく育っていたソラマメが、雪解け後の寒さにやられて全滅したのを反省して、(ウスイ)エンドウもソラマメも冬越しせずこの春に播種するようにしたのですが、信州の中山間地のこの辺りは難しい。
ということで、2月3月のあの大雪の事を思い出したので、お便りします。
これも10年かそれ以上で、1回あるかないかの大雪だったのでぜひその写真を見て下さい。
まずは2月8日の豪雪。ヤギ小屋兼トリ小屋の状態。外に出ることができませんでした。
翌日の9日。除雪機を入れました。
下の写真は8日の雪をやっと片づけたその1週間後の2月15日の豪雪の時のもの。トラックなどが立ち往生した山梨、長野だけでなく東京の山間部でも集落が孤立し始めた日のことです。
新東京都知事は「豪雪って1日のことでしょう」。わが内閣総理大臣は危機感を持つことなく高級料亭で天ぷらを食べていた日です。ネット上でしばらくは「天ぷら総理」「天ぷら野郎」と批判されたひのことです。
とにかく人一人が通れる雪を除くのに手いっぱいでした。
なんとか除雪機の置いてある場所まで手掻きし(50m以上はあります)、それから稼働させました。雪の降り方は吹雪ではなかったもののひどい降り方で、除雪する尻から積もってしまう状況の上、道の両端が全く見えないので転落の危険がありました。前方に雪で動けなくなった連れ合いのクルマがあります。結局3日間、脱出できませんでした。
雪に閉じ込められているさ中、何が起こるかわからないのでとにかく人一人歩けるだけの除雪はしておかなければと除雪を進めたのですが、雪崩です。
上の道は10数メートルにわたっての雪崩があったので通れず、ともかくここは突破しなくてはなりません。道は雪で埋まってしまって見えませんがここから左に下るとお隣のお年寄り夫婦の家ですので、余計に道は確保しなければと思いました。右の写真は、やっとひとり分の幅を確保できて、連れ合いの「渡り初め」です。
比較的雪の少ない当地ですらこんな状態だったのですから、指揮官への批判は当然だったと思いますよ。
以上が2月15日の事。
それからずっと道路や家の前、庭の除雪で、6日経っても家の裏の除雪は全く手つかずでした。勿論体力の関係で毎日毎日連続でこんな作業はできません。休み休みなので誤解の無いように。
左は21日の状態。右は24日。やっと台所まで来ました。狭い所なので除雪機は使えず、雪もスコップですくって、一輪車に乗せては捨てるという作業の繰り返しです。それにしても膨大な量でした。
除雪も終え、土も見えてきた3月3日の庭に、お客さま。
3月11日、寒のぶり返しです。
でも春の気配で、やっと通常に戻ってきたという感じの気候です。
ハッちゃんもピンと尻尾を立てて、私についてきます。
ひとことで言って大変な冬でした。
行政による一寸の助けもなく除雪に必死だったという感じしか残っていませんが、まあ病気もせずに無事に過ごせました。
3日間完全に閉じ込められたものの、山梨の孤立したムラと同様に食べ物がなくなるというようなこともなかったことは、やはり農村や農家の強みを再認識しました、
雪で交通マヒや市町部の食品不足という報道と農家を見て比べると、危機に対する柔軟さに雲泥の差があることは明らかでした。
国土強靭化という名のもとコンクリートで固めるのがよいのか、中央と地方の均衡のとれた発展を図るのがよいのか。ま、今の政府ではこれ以上言うのは無駄と言うべきか。