すすきの十字街
明治4年に、解任された島義勇の事業を引き継いで札幌にやってきました。 そうなってきますと商人のための宿屋が建ち、続いて飲み屋が出来ていきました。それらは大繁盛したと伝わっています。 通りの名も、京都にならって人々にわかりやすく、条・丁目としたそうです。 ==つづく==
岩村は島の解任の原因が予算の使いすぎだったために、予算難を理由にすぐに札幌建設に手をつけませんでした。世あたり上手なのでしょうか。
でも、そうしているうちに、利益にさとい商人達が、札幌が北海道開拓の首都になるらしいことを聞きつけます。
その商人たちは全国から集まってきました。たくましいですね。
一度町づくりに勢いがつくと、とまらないらしく、雑貨屋、呉服屋、お茶屋がつぎつぎと並んでいったそうです。
この状況を見た岩村は、ついに札幌に北海道の首都を建設しようと決めます。
岩村は函館、東京などから千数百人もの人間を集めて作業に当たりました。
そして、区画を整えるにあたっては、市街地を4キロ四方に設定しました。
さらに当時辺りに生息していた熊より厄介だといわれた火事をなくすために、御用火事といわれる放火をあえて決行し、町並みを整理しています。
★★★ ここがススキノのコアスポット!! ★★★
すすきのゼロ番地のオススメ
表通りのススキノに飽きた足らなくなつたら「すすきのゼロ番地」へ! 1958年に誕生した「すすきの市場」地下の飲食店街には、個性的で魅力的な お店がいっぱい。
◆ 昭和レトロの癒しの穴場 ◆
すすきの南6西4ゼロ番地の魅力を探る すすきの中心部の一角(南6条西4丁目)に、ひときわ異彩を放つビルが建っている。
1階に『すすきの市場』(所有者=札幌振興公社)、2階~5階に公営住宅(同土地再生機構)、地下1階に飲食店街《 すすきのゼロ番地 》(同すすきのゼロ番地飲食業協同組合)が入居するこのビルは、大正11年に設置された札幌第二公設廉売市場が前身。
地下1階部分についていえば、昭和33年に現在の建物に建て替えられたのち、(株)北海道振興の管理運営時代を経て、昭和46年に協同組合へ売却されたのを機に、現在の《ゼロ番地》の名称で呼ばれるようになった。
《ゼロ番地》の由来は、『地下で番地がなかったから』『ゼロからのスタートという意気込みから』など諸説があるようだ。
戦後65年、すすきのは大きく様変わりしてしまったが、『ゼロ番地』は今も昭和のレトロムードを色濃く残しており、癒しを求めて訪れるファンが少なくない。最近は老舗店に加え、スタイリッシュな新店舗も登場。
若者にも注目され始めるなど、新たな魅力も備えた『ゼロ番地』である。