歴史背景
札幌市中央区の歓楽街すすきの(薄野、ススキノとも表記される。)は、明治4年(1871)北海道開拓使が現在のすすきのの2丁(約220m)四方の区画に公認の遊郭を設け「薄野遊郭」と命名したことから周辺一体の歓楽街は、すすきのと呼ばれるようになった。すすきのの歴史は、札幌開拓の歴史でもあり、明治2年(1869)北海道開拓使が設置され、開拓使判官の島義勇が札幌本府の建設に着手して札幌の開拓がスタートした。
明治3年の札幌の人口(定住者)は、わずか9戸13人であったが、開拓使判官の岩村通俊が赴任し札幌本府建設が本格化すると、政府の募集に応じた数千人の職人や職工等が送り込まれた。市内は旅籠や飲食店が立ち並び一気に活気に満ちた。しかし彼らは、腰掛意識が強く、賭博や飲酒にふける者が多く、作業能率は低かった。また、下級私娼が出没し取締りも難しいことから、開拓使は、職人たちの士気の高揚と定着を目的として公設の遊郭を設けることとした。
明治4年(1871)市内周辺に点在していた女郎屋 7 軒を、現在の南4条~5条、西3丁目~4丁目に集め、周囲に高さ 4 尺の土塁(堀を掘った土で築かれた土堤)を巡らせた遊郭を明治5年の夏に完成させた。(遊郭の跡地は、道路の中心が少しずれていて、地図上ではっきり判断できる。)
正面に大門を設置したこの遊郭を工事監事の薄井竜之の一字を取って岩村通俊が「薄野遊郭」と名付けたとされている。
薄井竜之(1829-1916)幕末―明治時代の尊攘運動家。文政12年生まれ。維新後開拓使監事をへて明治11年東京裁判所判事、秋田地方裁判所長を務めた。大正5年11月29日死去。88歳。長野県出身。
=つづく=
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