あけましておめでとうございます
新年明けましておめでとうございます。
旧年はゼロ番地をご利用下さいまして誠に有難うございました
本年もより一層のサービスを心掛ける所存です
どうぞ宜しくお願い申し上げます
お蔭様で、今年も31店舗「全店」のお店が1月4日より元気よく新年を
迎える事ができました。
依然厳しい状況が続くススキノですが、今年も組合員一同、
少しでも明るい話題を皆様に提供できるよう努力してまいります。
2012年も変わらぬ御指導、御支援を賜りますよう
お願い申しあげます。
札幌市薄野ゼロ番地飲食業協同組合
すすきの市場(1階)・ゼロ番地(地下) 2階~5階(住宅)
東北以北最大の歓楽街「ススキノ」。私も好きです。 29歳で北海道開拓判官として 予算難を理由にすぐには札幌建設に 札幌が北海道開拓の ところが、せっかく来ても街も何も無いと皆失望しましたが、 少し様子を見ているとさらにつぎつぎと 商人が集まってくる。 風呂屋まで出来て、それらは大繁盛 茶屋がつぎつぎと並びました。 建設を請け負った、中川源左衛門を大工棟梁に置き、 彼を通じて函館、東京などから千数百人を 集めて作業に当たりました。
ネオンに何かステキなものを感じますね・・・引き込まれそうですね・・・
そんな「ススキノ」のもとを築いたのが「岩村通俊」という方です。
土佐出身の岩村通俊は明治2年開拓使新設に伴い、東京に妻子を残し、
函館に赴任。明治4年には、島義勇の大事業を引き継いで札幌にやってきました。
しかし、岩村は予算の使いすぎで解任になった島義勇を教訓に、
手をつけようとはしませんでした。そうしているうちに、利益にさとい商人達は、
首都になるらしいことをどこからか聞きつけて、全国から集まってきました。
するとそのうち商人のための宿屋が建ち、続いて飲み屋が出来た。
したそうです。こうなると勢いがつき、雑貨屋、呉服屋、
そんな状況を見ていた岩村は、札幌首都建設に着手しようと決めたのです。
まず、建設工事の能率を高めるため、岩村は函館時代の知り合いで五稜郭の
~つづく~
ゼロ番地東側