すすきのゼロ番地飲食店街

再発見!中央区南6条西4丁目に昭和レトロな雰囲気を漂わせる建物
1階が市場、その地下にすすきのゼロ番地飲食店街がある

北海道歴史探訪・すすきの(3)

2011-07-31 | Weblog

 

 

こうして札幌の開発は急速に進んでいきますが、岩村はさらに

事業を起こすんですね。
それは、土木作業者のために北海道で初めての官庁公認の遊郭を、

設けることでした。 

男の数が多かったため、毎日のように暴力沙汰が起こり、

札幌の治安は手のつけられない状態になっていました。
やはり女性がいないと殺伐とするものなんですね。
岩村はこのような状態を見て、労働者に娯楽の場を与えることを

思いつきます。
岩村は開拓監事である薄井龍之を呼び、計画を話しました。
札幌に歓楽地をつくり、労働者をはじめ、人々が楽しめる

場所をつくろう、そして、

単身赴任の男たちにも安らぎを与えられるような町をつくろうと。 

これをうけた薄井は、道庁からやや離れたところに、

200メートル四方で町割りをしました。 

そこに歓楽地を作らせ、薄井の名を一字とって、「薄野遊郭」と

名づけました。
南北に走る駅前通りと東西に走る南5条通り(すすきのメイプル通り)の

交点を中心として四区画をその範囲としました。
薄井は東京から芸者数十名をススキノに呼び寄せます。それだけで、

男ばかりで殺風景だった

札幌の町並みが一気に華やかになりました。
                                        ==つづく==


薄野ゼロ番地=40年の足跡

ススキノでも珍しい管理組合が運営する「薄野ゼロ番地」は店主がゼロからの出発との事で名づけられたとされている

31店舗のスナック・居酒屋・ショットバーなど店主1人で営む店舗が多く、40年以上営業している老舗と新しい店が混在する不思議な空間だ。

 

札幌市薄野ゼロ番地飲食業協同組合理事長を務めるのは太田正師さん。

 「昔は廊下に出ると人とぶつかりながら歩いていたけど、ここ数年ススキノで遊ぶ人少なくなってゼロ番地も客足が減りました。しかし昨年頃から57件の店舗が新規オープン、若い客が足を運んでくれるようになって、少しずつ客足が戻ってきたので嬉しいですね」。

 建物の老朽化や構造上の問題で冷たい風が吹き抜けるため、寒さ対策として東側出入り口に自動ドアが'‘0612月に設置され、トイレに行く時に酔いが醒めたり、店内なのに厚着をすることもなくなり快適な空間になった。

 スナックで飲んでいてトイレに行く途中のバーに立ち寄り一杯だけ飲んだり、隣店に席がありながら小腹が空いたからと居酒屋でたべるなど、一つの建物内で雨風関係なく自由に行き来できるのが、すすきのゼロ番地の魅力なのかもしれない

その魅力を自分なりに見つけてみるのも実に面白い。

 

 

 

1922

札幌市2ヵ所目の公設市場として設置したのが前身

 

1958

現在の建物が完成し地下と1階部分は、札幌振興公社が札幌市の要請により店舗として、25階部分は住宅として日本住宅整備公団が所有。

地下には雑貨店や歯科医院などが入居

 

1961

土地が札幌市から札幌振興公社に売却

 

1971年~現在

地下部分を札幌市薄野ゼロ番地飲食業協同組合に売却し、飲食店街「すすきのゼロ番地」の名称になり、ここからがゼロ番地のはじまり。

その後何度も修繕、改築され32ある物件が全て埋まる時期も長く続き、現在でも

 31店舗の飲食店が営業している。

 


北海道歴史探訪・すすきの(2)

2011-07-17 | Weblog

 すすきの十字街

 

明治4年に、解任された島義勇の事業を引き継いで札幌にやってきました。
岩村は島の解任の原因が予算の使いすぎだったために、予算難を理由にすぐに札幌建設に手をつけませんでした。世あたり上手なのでしょうか。
でも、そうしているうちに、利益にさとい商人達が、札幌が北海道開拓の首都になるらしいことを聞きつけます。
その商人たちは全国から集まってきました。たくましいですね。 

そうなってきますと商人のための宿屋が建ち、続いて飲み屋が出来ていきました。それらは大繁盛したと伝わっています。

一度町づくりに勢いがつくと、とまらないらしく、雑貨屋、呉服屋、お茶屋がつぎつぎと並んでいったそうです。
この状況を見た岩村は、ついに札幌に北海道の首都を建設しようと決めます。
岩村は函館、東京などから千数百人もの人間を集めて作業に当たりました。
そして、区画を整えるにあたっては、市街地を4キロ四方に設定しました。 

通りの名も、京都にならって人々にわかりやすく、条・丁目としたそうです。
さらに当時辺りに生息していた熊より厄介だといわれた火事をなくすために、御用火事といわれる放火をあえて決行し、町並みを整理しています。

==つづく==


 

 ★★★ ここがススキノのコアスポット!! ★★★

すすきのゼロ番地のオススメ

表通りのススキノに飽きた足らなくなつたら「すすきのゼロ番地」へ!

1958年に誕生した「すすきの市場」地下の飲食店街には、個性的で魅力的な

お店がいっぱい。

 

 

 昭和レトロの癒しの穴場 

すすきの南6西4ゼロ番地の魅力を探る

すすきの中心部の一角(南6条西4丁目)に、ひときわ異彩を放つビルが建っている。
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階に『すすきの市場』(所有者=札幌振興公社)、2階~5階に公営住宅(同土地再生機構)、地下1階に飲食店街《 すすきのゼロ番地 》(同すすきのゼロ番地飲食業協同組合)が入居するこのビルは、大正11年に設置された札幌第二公設廉売市場が前身。
地下1階部分についていえば、昭和33年に現在の建物に建て替えられたのち、(株)北海道振興の管理運営時代を経て、昭和46年に協同組合へ売却されたのを機に、現在の《ゼロ番地》の名称で呼ばれるようになった。
《ゼロ番地》の由来は、『地下で番地がなかったから』『ゼロからのスタートという意気込みから』など諸説があるようだ。
戦後65年、すすきのは大きく様変わりしてしまったが、『ゼロ番地』は今も昭和のレトロムードを色濃く残しており、癒しを求めて訪れるファンが少なくない。最近は老舗店に加え、スタイリッシュな新店舗も登場。
若者にも注目され始めるなど、新たな魅力も備えた『ゼロ番地』である。