すすきのゼロ番地飲食店街

再発見!中央区南6条西4丁目に昭和レトロな雰囲気を漂わせる建物
1階が市場、その地下にすすきのゼロ番地飲食店街がある

すすきの歴史背景(3)

2012-07-01 | Weblog

 

  割烹 いく代

 明治の中頃になると札幌市内には、料亭(旗亭)が次々に開業している。
 明治21年(1888) には、中島遊園地に大中亭が開業、池に船を浮かべて船遊びができた。
中島遊園地の池の周囲には西ノ宮、日吉亭、大正亭、臨池亭などが次々と建てられた。
数ある料亭の中でも繁栄を極めたのは、「いく代」である。200畳敷きという大広間を設け、時の宰相・伊藤博文をはじめ日本の政財界のトップクラスが「いく代」を利用している。
 「いく代」の初代女将の斉藤いくは、明治元年3月新潟県の松村町に生また。父は、函館で木材商をしていたが、函館大火で財産を失い、いくは二十歳で札幌に出て芸者になった。
 その後、明治29年に、偕楽園の池畔にあった建物を賃借して料亭(偕楽亭)を始め、同33年に板前の小林喜三郎と結婚、翌年、現在の南3西4に広壮な料亭「いく代」を開業した。
 いく代は、主に政府役人の接待などで使ったために、「夜の赤レンガ」の呼び名まで生まれた。 いく代には大勢の芸妓が居たが、多くは斉藤家の娘(養女)として資産家に嫁いでいる。
 また、主人の小林喜三郎は稽古に励んでいる芸妓の発表会の場を作る相談を九島伊太郎に持ちかけ九島は明治43年に遊楽館を開設している。
 斉藤いくは、函館の勝田楼(勝田鑛蔵の長女・コウは、ハム作りの職人カール・レイモンの妻) の島崎いと、小樽の海陽亭(魁陽亭→開陽亭→海陽亭)の官松かう、とともに本道花柳界を代表する三人女将として有名になったが、大正2年病気のため引退、京都に移り大正11年3月9日没している。 料亭いく代は実妹の斉藤シゲが継ぎ、夫の斉藤源蔵は、小金湯に「松の湯」を建て移り住んだが、昭和24年(1949)9月24日の豊平川の洪水で源蔵ら七名が犠牲になった。
 昭和52年、中島(南13条西1)に移転、新たに「割烹いく代」を開業したが、長く続かず、名門いく代は四代目にして廃業した。

=つづく=


★★★ ここがススキノのコアスポット!! ★★★

すすきのゼロ番地のススメ

表通りのススキノに飽き足らなくなつたら「すすきのゼロ番地」へ!

1971年に誕生した「すすきの市場」地下の飲食店街には、個性的で魅力的な

お店がいっぱい。さあ潜入!

 

南6条西4丁目にある地下飲食店街。東西に1丁分の長さがある「すすきの市場」の

真下にある。

起源を遡ると、大正11年に札幌第二公設廉売市場がこの場所に設置されたのが

始まり,昭和33年に現在の建物が作られた。

当初は雑貨店や歯科、医院などが入っていたというが、昭和40年代に、

現在のようなスナックや居酒屋などが集合した

飲食店街「すすきのゼロ番地」が誕生した。

 営業のご案内

  しのぶ  営18:30~24:00  TEL011-512-2637

 料理上手な高橋洋子ママ特製の一品料理にオトンはイチコロ!?腹ペコな夜もどうぞ。

 

スナック  ちろる  営17:00~1:00  TEL011-521-4482

 開店から43年目。ママの関憲子さんを慕う常連客は2代目、中には3代目にまで突入中!

 

スナック  カトレア  営19:00~1:00  TEL011-531-6710

 「お喋りはあまり得意じゃなくて(笑)と綿谷節子ママ。ツレと存分に語らいたい夜に。

 

居酒屋  野武士  営17:00~24:00  TEL011-531-7523

 肝っ玉ママ・山崎マサ子さんの叱咤激励と、チャチャッと作ってくれる一品で元気を注入。

 

スナック アゲイン  営19:00~1:00  TEL011-521-3639

 しっとりと落ち着いた空間で木下智恵子ママと乾杯!3,000円で2時間の飲み放題あり。

 

スナック  マミー  営18:30~24:00  TEL011-531-5950

 店内や北原マスターのネクタイ姿が、古き良き昭和のバーの雰囲気を伝えてくれる。