すすきのゼロ番地飲食店街

再発見!中央区南6条西4丁目に昭和レトロな雰囲気を漂わせる建物
1階が市場、その地下にすすきのゼロ番地飲食店街がある

すすきの歴史背景(5)

2012-09-03 | Weblog

 

 すすきのの入り口、札幌駅前通と国道36号線の交差する「すすきの交差点」にどっしりと構える髭のおじさん。変わらない、ニッカウヰスキーの看板が出迎える

 

    ノルベサ  (中)南3条西5丁目

札幌中心部の都市型オアシス」をテーマにした複合商業施設。屋上には観覧車を備え、施設内にはショッピング、グルメ、アミューズメントがあり、幅広く楽しめる。

 

 

 

すすきの変遷の歴史を辿ると、遊郭設置から半世紀が経ち大正年代に入ると札幌の人口も 10 万人に迫り、街並みも大きく様変わりしました。 大正 7 年には開道 50 年を記念しての北海道大博覧会が中島公園で催される事が契機となつて移転問題が本格化し、大正9年、遊郭はすすきのから豊平川を挟んだ対岸の白石(現在の菊水地区)に移され、薄野遊郭は 50 年の歴史に幕を降ろすことになりました。

 

 大きく変ったすすきので僅かに[薄野遊郭]の頃を偲ばせるものが南7条西4丁目の豊川稲荷です。 明治 31 年に落成した本堂は、今やビル街と化したすすきのにあって、明治の香りを残す数少ない建物の一つですが、境内には、芸妓の名が刻まれた門柱などが今も残されている他、芸妓の供養のための[薄野娼妓並びに水子哀悼碑]が建てられています。

 

上図は、毎年繰り広げられる[すすきのまつり]の呼びものの一つ[花魁道中]の一コマです(T・Yamazakiさんからお借りしました)。この[花魁道中]は、かって東京楼開業の日、東京からやって来た遊女 20 数名が、宿舎から遊郭まで優雅な花魁道中を繰り広げたことが起源となっているイベントです。

=つづく=


すすきの市場・地下≪すすきのゼロ番地≫

     

この建物は1958年(昭和33年)建設され、1Fは[すすきの市場]BFは[すすきの〇番地]でお馴染の飲食店街、2F-5Fは[すすきのアパート]で、札幌でも再開発ビルのはしりです。この市場の始まりは[札幌第二公設廉売市場]で、大正11年に設けられていたもので札幌の廉売市場の老舗でもあります。この市場は、ススキノのお店の調理場を一手に引き受け、夕刻になると仕入れ、配送など大忙しです。この階上は住宅公団の賃貸マンションで、札幌でもマンシヨンのはしりでした。建物自体は外壁などは塗り替えられていますが、佇まいは昔と変わらず、多くのサラリーマンが[ススキノ0番地]と呼んで夜の社交場としてに賑あっていた頃を思い出します。