すすきのゼロ番地飲食店街

再発見!中央区南6条西4丁目に昭和レトロな雰囲気を漂わせる建物
1階が市場、その地下にすすきのゼロ番地飲食店街がある

すすきの歴史背景(7)

2012-11-02 | Weblog

.すすきのの入り口、札幌駅前通と国道36号線の交差する「すすきの交差点」

にどっしりと構える髭のおじさん。変わらない、

ニッカウヰスキーの看板が出迎える

 

ススキノのはじまりは薄野遊郭

 北の歓楽街「ススキノ」は東京の歌舞伎町、福岡の中洲にならぶ日本三大歓楽街といわれる、国内的に有名な北日本最大の繁華街です。すすきのという地名があるのではなく、南4条~南6条、西2丁目~6丁目を範囲とするのが一般的です。

 ススキノという名前がつけられたのは明治時代の札幌開拓のころ。札幌市街地区の南4条~5条、西3~4丁目の4区画を遊郭に指定、「薄野遊郭」と呼んだのが始まりです。指定されたのは1871年で、翌年「東京楼」開業。北海道開拓使によって整備された日本初の官設遊郭でした。

 当時の札幌開拓の時代はつらい生活から逃亡が多く、男ばかりで治安も悪かったといいます。そこで、開拓大判官・岩村通俊(いわむらみちとし) が薄井龍之に任じて娯楽の地を建設させたといわれています。この人の名前を取ってススキノという地になったとか、ススキが生えていたなど、由来は諸説あります。

 芸者は東京から呼び寄せました。この建設により治安が良くなり、札幌は発展していくことになります。当時の芸者たちの名残としては、現在の「すすきの祭り」の花魁道中という行事や豊川稲荷があります。また、中島公園付近に呉服店が多いのも当時の名残。

 この薄野遊郭には官僚たちも訪れました。たとえば黒田清隆は1890年ごろにススキノで当時18歳前後の芸者・黒清(本名:小林キヨ=明治5年生まれ) に出会いました。黒田清隆は黒清を来道するたびにひいきにし、黒清は彼に惚れていた、なんていうエピソードも残っています。

 こうしてススキノはスタートしましたが、建設当時は札幌市街地の端のほうにあったススキノも、次第に南にも町並みが形成されるようになり、付近に豊水小学校など学校があるなど風紀上の問題もあり、移転話が持ち上がるようになりました。1920年の移転先には白石(菊水)遊郭が選ばれました。

 ススキノは遊郭ではなくなりましたが、相変わらず街の中心部に位置しており、映画館や飲食店やバーなどができるようになりました。そして、戦後には再び違法売春斡旋が行われる地域となり、現在も深夜まで続く歓楽街になっています。国内でも珍しい比較的治安の良い、夜の街です。


 

 

★★★ ここがススキノのコアスポット!! ★★★

すすきのゼロ番地のススメ

表通りのススキノに飽き足らなくなったら「すすきのゼロ番地」へ!

1971年に誕生した「すすきの市場」地下の飲食店街には、個性的で魅力的な

お店がいっぱい。さあ潜入!

           

 ==秋 華==    【様々な用途に利用したい落ち着きある店】TEL011-796-3174

昭和62年に第七桂和からホワイトビルへ移転、13年間、それから平成14年に

三条美松ビルで野菜を中心とした和食のお店を6年間営業してきました。

今回、縁がありゼロ番地でスナック&軽食のお店を開店する事になりました。

ゼロ番地の中でも広い店内を誇り、カウンターとボックスを合わせると25席も

ある心和む木目調で統一された「秋華」。

優しい笑顔が遠藤明美ママの手作りチャームは常連の間でも大好評。

焼酎やウイスキー飲み放題・2時間、3000円(カラオケ込み・1名様から)などを

ゆっくりとした時間を過ごせる。明美ママは「好きなお酒の持込可持込料有)、

気取らず低料金・明朗会計で安心に飲めます」と明美ママ。


 

==味処北桜==  営業年数14年        電話番号011-513-2285

当店は平成4年~6年まで留萌市内で営業、平成10年~21年11月まですすきの

G4ビル地下にて営業していました。念願叶いまして、

ゼロ番地にて1月17日オープンしました。

当店の料理の一部・牛すじ煮込み、さば味噌、ねぎ入り厚焼き玉子焼等色々と

家庭料理が中心です。(毎日・日替り晩酌セットがおすすめ!!)

料金は=おまかせ晩酌セット(料理3品と生ビールかお酒一合付で)1,500円で

お得感たっぷりの量で、ご提供しています。

又Pm5:00~7:00までのご来店の方には、晩ごはんセット

(3品料理、ライス、味噌汁付で900円です。)

家庭料理が中心で、家庭的な雰囲気です。カッポウ着を着た母さんの明るい声で

お迎えしております。

「いくべさどっとこむ」を見て来た方には、1品サービス致します。