すすきのゼロ番地飲食店街

再発見!中央区南6条西4丁目に昭和レトロな雰囲気を漂わせる建物
1階が市場、その地下にすすきのゼロ番地飲食店街がある

すすきの歴史背景(6)

2012-10-04 | Weblog

 すすきのの入り口、札幌駅前通と国道36号線の交差する「すすきの交差点」にどっしりと構える髭のおじさん。変わらない、ニッカウヰスキーの看板が出迎える

 

札幌市中央区中心部(本府)誕生の歴史

  札幌中心部は開拓使により北海道の中心となるために計画的に建設された国内では非常に珍しい町です。開拓判官島義勇がまず1869年に建設をすすめました。街の中心部(本府)はちょうど豊平川の扇状地の先端部に位置しており、それより北は泥炭地でした。

 当初は市街地を南北に広げる予定でありましたが、こうした理由により、東西にまずは街を広げていきました。区画サイズは60間(約109m)四方(11,6 44m2)で、京都にならって条丁目の碁盤の目にしました。本通は幅11間(約20 m)、中通は幅6間(約11m)、そして中央部に東西に引かれた道路が大通であり、 幅58間(約105m)ありました。

 島義勇が基本的な構想を企画し、後任の岩村通俊が1871年までに火防線となる「大通」を境に北を官庁、南を商業地としました。札幌農学校(現在北海道大学)が当初1875年に建設されたのは北1~2条あたり。後に北の現在の位置に移転しましたが、演武場は時計台として(多少移動しましたが)現在も残っています。

 1880年には鉄道が市街地区画の東西ラインに合うように敷設されました。札幌駅が開設されたことで、駅前通が中心軸ととらえられるようになりました。隣接する山鼻屯田兵の区画とは微妙なずれが生じています。

 

 すすきの散歩路

 さて、札幌市内散策も、大通公園を越え、道内一の歓楽街、すすきのまでやって来ました。

  元は北海道開拓使が遊郭地帯に指定したことから始まったすすきの。残念ながら夜、ここで過ごすことは出来ませんでしたが、さすが賑やかな繁華街の雰囲気に満ち溢れていました。すすきの近くの狸小路というアーケード街もなかなか華やかな感じですね。

  またこの辺りは札幌で唯一残る市電が走っていました。すすきのから市街をぐるっと回って、直ぐそばの西四丁目まで。結構色々な色の車両が走っていました。

 華やかな看板に彩られたビル街の繁華街をレトロな市電が走る光景もなかなかいいものでした。

 さて、長年活躍して、さしたるトラブルも無かったD70がついにダウン。全くシャッターが降りなくなってしまいました。ガーん!!大ショックですね。しばらく入院を余儀なくされそうですが、いつ戻ってくるのやら・・

 すすきのゼロ番地前・駅前通り