春日大社(4/28)

2007-05-01 21:06:34 | NARA
祖母の三回忌の法事のため実家に帰ってました。

最近、神社仏閣に興味のある私なので、
今回は春日大社に行ってきました。

春日大社といえば日本三勅祭
賀茂神社の葵祭り、石清水八幡宮の石清水祭、
そして春日大社の春日祭、別名申祭(さるまつり)。
「春日若宮おん祭り」のことかと思えば、違うらしいですわ

二の鳥居を入ってすぐ左にある末社の祓戸神社で
藤原姓から選ばれた勅使(ちょくし)と弁(べん)が
「お祓いの儀」を行うそうです。

藤原姓。
そうなんですよ。
春日大社は藤原氏の氏神やったんですよ。
奈良・平城京に遷都された和銅3年(710年)、藤原不比等(中臣鎌足の息子)が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山に遷して祀り、春日神と称したのに始まる。社伝では、神護景雲2年(768年)に藤原永手(鎌足のひ孫)が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としている(Wikipediaより)

藤原氏の氏神氏寺の関係から興福寺との関係の深い春日大社。
そもそも昔は春日大社と興福寺は神仏一体化していたらしい。
ところが、明治元年に出された神仏分離令により、
全国に廃仏毀釈の嵐が起こり、春日大社と一体の信仰が行われていた
興福寺の子院は廃止、寺領は没収され、僧は春日社の神職となり、
境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった。

そう言われてみれば、興福寺って寺院特有の塀がまったくない。
公園の真ん中に点々と塔やお堂が建っている。
そういう事やったのね~
ま、いちおう中世の時代からお寺と神社は分けられていたらしいけど、
この条例によって、しっかり分裂してしまったという事らしい。

話が逸れたけど毎度のことですわ(笑)



手水舎は神鹿ですわ。
鹿は神様のお使いなんですよ。
武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白い鹿に乗って現れたそうで、
以来、奈良の鹿は保護されてます。
鹿を誤って死なせてしまうと「石子詰めの刑」に処せられます。
ま、今はそんなことないでしょうけど、
なんらかの刑はあるってきいたことあります。
多分・・・

南門

そもそも、何故春日大社に行ったのかといいますと、
ちょうど藤の季節でしょ?
春日大社には有名な砂ずりの藤ってのがあるんですよ。
四月下旬から五月上旬らしいのでちょうどイイやん
と、思いきや・・・まだまだでした。30センチくらい?



見頃は五月のGW頃ってことでした。残念。
しかし、さすが藤原氏。藤の花にこだわるか~(笑)
春日大社の御紋も藤をモチーフにしてる。
藤って不時やら不治だとかで結構嫌がられるのにね。



藤は不発に終わり、境内を散策。
「春日若宮おんまつり」でおなじみの若宮さんにもご挨拶しとかんとね。
若宮神社に行くには、南門と反対に進みます。
この石燈籠の道は御間道(おあいみち)というらしいです。
御間道

進んでいくと、神功皇后が植えられたという大楠があります。
なんと、奈良市内一の巨樹らしいですよ。
樹齢1700年(推定)というからびっくり
一世紀以上生きてるんですね~すごいわ。

大楠

若宮神社

話があちこちに逸れながら書いたけど、
長年奈良に住んでても興味が無かったらこんなもん。
今あらためて分かった事だらけですわ。
とりあえず、春日大社は神秘の神社です。
鹿がいるの見える?

神鹿がいたり、天然記念物の春日原生林や御蓋山の
木は一切伐採が禁じられてるからか、
ホントに自然に伸びていてるのもあれば、枯れてるのもありで
すごく風情が出てるというのか、神秘を感じるわ。
社殿の大杉も建物の中を突き抜けてるしね。(避雷針までついてる)

大杉

空気が澄んでいて時間が止まったような空間。
下鴨神社より神々しい雰囲気が満ちてたわ~

あちこち周った気がしたんやけど、
肝心な中門・本殿には行ってなかった・・・
参拝していたのはなんと舞殿でございました(笑)
その奥に四柱の神様がいらっしゃったんやろうけど・・・
広い境内は見所多すぎて、きっと三分の一くらいしか見てないわ





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