一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

腐敗の伝染、秩序の破壊

2019-08-22 07:40:00 | カトリック
なぜ人は共産主義に騙され続けるのか
という興味深い記事を読みました。
大方この記者の言うことは至極真っ当です。
実はこの現象は残念なことにカトリック教会に蔓延っています。伝統の教えと新しい教えという意味では新しい教えが正統の教えを駆逐する勢いで伝統信者の多くは迫害を受けています。
欧米社会では伝統のカトリック教会にダメージがあるならばどんな手段をも選ばない左派の動きを上記の記者は見抜いていますが、時代共に言葉やイデオロギー等を変えて常に天主の秩序、すなわち聖なるカトリック教会を破壊すること、実はそれは悪魔の働きであることを指摘できれば満点なのですが。

マーチ・フォー・ライフ 2019

2019-08-07 13:11:10 | 生命問題
『あなた方によく言っておく。これらの私の兄弟、しかも最も小さな者の一人にしたのは、私にしたのであると言うであろう』マテオの聖福音でイエズス様はこのように仰います。
現代において人工中絶や堕胎によって最も小さな者は殺されています。受精の瞬間から私たちは母親の胎内で約10ヶ月守られて生まれてきました。人となられたイエズス様も最も小さな者としてマリア様の胎内でお育ちになり生まれたのです。大胆に言えば私たちは人工中絶されなかったからこうして生きております。人工中絶された胎児は最も安心だとされる子宮内で不可抗力的にバラバラにされるのです。このような不幸な事が毎日毎日行われています。銃乱射や殺人はテレビで報道されて私達はその凶悪な事件を目にし耳にしますが、人工中絶で殺された赤ん坊の報道は耳にしません。なぜでしょうか?受精された瞬間から彼らに生きる権利が認められていないからです。そして人として認められていないからです。実際届け出の人工中絶数は現在では約20万人なのだそうです。これは厚生省に届け出された数であって実際は人口学者によると実際は数倍なのだそうです。そうすると日本国において死因一位と言われているガンで亡くなる方は年間約30万人ですので、それを大きく上回ると言えます。この様な大虐殺が毎日毎日過去から行われているのです。
これに終止符を打つためには、私たちに出来ることは無いかと、7月15日に私はマーチ・フォー・ライフに参加しました。発表によると当日集まった人は300人を超えているということです。声を上げられない胎児のために祈りの声を上げるため、そしてイエズス様のために命のために、多くのカトリック信者が命のための行進に加わりました。今年はまだ梅雨の真っ只中で午前中は雨でしたが、マーチの時間には天のお恵みでしょうか、曇って暑くもなく涼しい空気の中歩くことが出来たのです。昨年は暑かったです!

 築地教会に16時少し前に行くと丁度ミサが終わり多くの人が外に出てこられました。関西の方から来られた顔見知りの神父様にも数年ぶりに会えました。今年は今まで以上に沢山のカトリック司祭が集まりました。これはとても喜ばしいことです。特に今回は初めて司教様が来られました。鹿児島と大阪の司教様です。お二人の司教様の指輪に接吻するお恵みも頂きました(右片足を付いて跪いて接吻しましょう!全贖宥が与えられるそうです。)。

 今年も外国人の参加者が多く、祈りや聖歌を歌いながら、守られるべき胎児のための行進に参加されていました。フランスからもスータン姿の司祭も来られて豪華な行進です。
日本では数回目ですが、欧米では既に数十年の歴史がありこれにはカトリック教会が大きく関わっています。特にアメリカでは行進の前には、起点とする教会で多くの教区や団体のミサが行われ、トリエントミサも行われるのだそうです。そして今年五月には台湾で初めてのマーチフォーライフが開かれ多くの司教様や司祭、シスターが集まって500名を越える参加者があったそうです。教会は生命の源は神様から来られることをよく知っています。そして「産めよ増えよ」という神様の命を私たちは理解しています。受精した魂を人間ではないということがいかに間違っていて、その生命を人間が産むか産まないのかを決める権利が無いことを理解しています。伝統の教えによると堕胎された命は残念ながら天国に入ることは出来ません。彼らは罪が無いのですが、リンボに入ることになります。このような罪なき最も小さき者の大虐殺が行われていることを知ること、そしていずれ無くしていくことが大切です。隣人愛とはこのような命にも向けられなくてはいけないという思いで、聖母マリア様の近くでロザリオを唱えて日比谷公園まで歩きました。

 そしてゴールの日比谷公園では行進を終えてたくさんの人とのコミュニケーションが取れる時間になります。再び司教様を探して家族で写真を撮りました。
後日談ですが参加者に聞くと司教様が二名も来られたことを後から知った方も多かったのだそうです。なぜならば司教様が一般の服を着ていて、司教様の格好をされていなかったからです。一般市民としてではなくカトリックの司祭としてスータンを着て欲しかったという意見も耳にしました。
来年もまた参加することを心に決めて祈りつつ帰りました。読者の皆様も是非生命のための行進を致しましょう。そして天に宝を積みましょう!


エクソシストからの警告

2019-07-17 20:37:02 | カトリック
枢機卿(エクソシスト)「数十年前教会は悪魔払いの方法を変えました。12世紀から続いてきた最も効果的な祈りを排除し非力な武器で戦わせたのです。」
質問手「どうしてそんなことを!」
枢機卿「教会も悪魔に毒されているからです。そのせいで聖職者たちは悪魔の存在を信じなくなりました。それに対抗する神の力をもです。多くの人は悪の根元に触れずに悪からお救い下さいと言います。」

カトリック教会と悪魔の戦いはまだ続いています。この世の終わりまで続くでしょう。歴史から私たちが学ぶことは、悪魔側に流された人は地獄に行くという事です。上述から言えることは実際教会の多くの聖職者が悪魔に負けていると言えるのかもしれません。公会議以降、以前のように司祭ははっきりと端的に教えを解く事が少なくなりました。多くの人がカトリック教会から羅針盤として見いだすことが無くなってきました。バチカンも司祭も時代と共に教えが変わって行くようにも見えます。その結果教会から多くの信者が離れ、病み、セクトに関わる人さえいます。
聖なる神学者が言うように、「教えは古ければ古いほど信頼出来る」のです。太古の教えにしがみつくしかありません。
ロザリオを唱えましょう。ロザリオは直接天から与えられた祈りです。祈りましょう!





マーチフォーライフ!

2019-07-14 21:43:40 | 生命問題
明日15日の16時に東京カトリック築地教会に集合です!
マリア様と共に歩きましょう!

再び聖体を考える

2019-05-16 07:53:26 | カトリック
御ミサで最も大切なところはどこですか?
初聖体の時に私が神父様から学んだことは、まずそれは聖変化の時と、そして聖体拝領の瞬間でした。
初聖体の時が最も忘れられないだろうというお言葉はまさに、その瞬間のためにどれだけ準備したかにもよるものですが、偉人の言葉を借りずとも私も例外ではありませんでした。『聖体拝領』、カトリック信者にとって、罪人が聖三位一体の主を頂くということは、常に非常に大きな敬意そして畏敬の瞬間であるはずです。緊張感があります。しかし、現代のカトリック信者の多くはもはや主の真の現存を信じないのだそうです。口では信じると言っても行動が全く無いのだそうです。例えば洗浄もしてない手で主に触れること。準備もせずに御聖体を受けることです。聖パウロは次のように書いています。『主の御体をわきまえず飲食する者は、自分自身への審判を飲食することである』この他にもこの事に関して厳しいことを書いてあります。
最近いろいろな記事を読みました。非常に嘆かわしいことです。跪いて御聖体を頂こうとする信者に司祭が立つまで拝領させないとか、跪いている信者に対して他の信者が冷笑するとか。実際これらの不寛容と冷淡は主を悲しませております。私たちは司祭に跪いているので無いのです。全宇宙の王の前で跪いています。主の御前で跪かないものは悪魔と変わらないというのを読んだことがあります。私たちを悪魔になるように導くことを許してはいけません。
私たちが従うべきものは悪魔でも人間にでもありません。天主を愛すること、畏れ敬うこと、そしてそれに対して相応しいことをするべきなのです。



公教会祈祷文から(黙想しましょう)
<ミサ聖祭にあずかる心得>
「ミサ聖祭は主イエズス・キリストが十字架上にかち得給うた、無量の功徳を人に施すために、御自ら定め給うた至聖なるいけにえである。それ故、天主の最もよみし給う最上の祈りである。五官には感知せられないが、ミサ聖祭において主イエズス・キリストはパンとぶどう酒との形色のもとに実際に祭壇にて降臨し給い、世のいけにえとなり、人々の霊魂の糧となり給うのである。
 それ故カルワリオにて主の御苦難を仰ぎ見給うた聖母の御心にならい、聖なる祭を祭壇の司祭と一致して公教会と共に捧げなければならない。」