ベジタリアンになってから、いろいろなベジタリアンのサイトや掲示板を見るようになった。
ベジタリアン関係の掲示板では、ちょくちょく論議というか論争が起こっているのを見る。
話が肉食の是非になると、肉食肯定側の人たちからほぼ必ず出てくる言葉がある。
「肉を食べる時は感謝して食べているのだ(からよい)」
「動物が可哀想というのなら、植物だって命ではないか。それを奪うことは殺生ではないのか」
これでいつも掲示板は荒れるのである。
ごもっともな理屈だが、なんか違うような…。
そしたら、ずーーっと言葉ではっきり説明できなかった、そんなあやふやな気持ちが晴れ、目からウロコが出る説明をしている本があった。
まだ本は読んでいないがここに概略が書いてある。
心と食物と人相と
厳格なフルータリアン(主に果実のみを食べる人々)は、果樹から落ちた果物しか食べない人もいるのだそうだが、この理屈からいうと果樹から手で直接もいでも「罪」にはならないのだ。これは私も納得。
魚も、大量に生まれ淘汰される稚魚の時代には、痛覚神経が発達していないのだそうだ!
確かに、人間の身体だって、切る必要のあるところは、痛みが感じないようにちゃーんとできている。
爪や髪の毛、そしてたぶんへその緒も…。
神様は本当にちゃんとしてくれているんだなあ。
感謝、感謝です…。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
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爪や髪の毛、そしてたぶんへその緒も…。
なるほどぉ~納得です。
私もそう思います。甘い果物なんて特に!
(ああ、柿が食べたいなーと今一瞬思いました)
ミホケルさん
ちょうどその日、こどもに赤ちゃんが生まれる時のことを話してたんですよ。
へその緒を切ると言ったら「ええ~~!痛いじゃないのぉ~!」って言うんで、この話をしたのでした。