城壁の街で : At The Walled City Blog

カナダ・ケベックシティ在住、ラヴァル大学院生の生活雑記
Université Laval, Québec City

一周年

2007-03-27 | 雑記
昨年の今日の16時ごろ、U-Haul Truck に乗ってケベックシティに到着した。

フランス語は一ヶ月だけ公設の語学学校に通った以外は一切勉強していないので、まったく分からないままだし、Prelim に落ちて大学をクビになりかけたりもしたけれど、なんとか一年を過ごすことができた。まだ、色々とギリギリで切り抜けている状況に変わりはないけれど、ひとまずよかったと思う。



この一年、生活面では新しい"国"ケベックでの生活への適応に追われ、勉強の面では現教授の「最先端を全速力で突っ走る」という、今までに世話になった二人の教授達とは全く違うスタイルに驚かされつづけた。

そうこうするうちに四季が廻り、新たな土地での生活の基礎も固ってきた。
日々営みの背骨となるルーティーンも確立し、いろいろと安定してきたと思う。

持病の片頭痛の頻度も1,2ヶ月に1回という状態に戻った。



そして、なによりも、オタワに関わった1年と少々の間に大きく損なわれてしまっていた本来の自分の姿を取り戻せてきたのが大きいと思う。まだまだ完全ではないにせよ、"小心なクセに、信じられないくらい我侭で、諦めもとんでもなく悪い"自分が帰ってきつつあると思う。「1年かけて受けた傷が回復するには、やっぱり1年かかる」ということらしい。

なんにせよ、これが、この一年で一番うれしいというか、ほっとした出来事かもしれない。「自分はもう終わってしまったんだろうか?」そう思うことが何度もあったので、この点に関しては素直にうれしく思う。



力が戻ってきているとはいっても、生まれた土地から遠く離れ、毎日のように新しいことを浴びつづけ、将来の保証もないまま死にもの狂いで前に進みつづけなければならない生活はとても疲れる。

正直なところ、平凡で平穏な生活に憧れる気持ちもどこかにあり、「もう、いいだろう」「もう、やめよう」といつも思っている。

特に今は「仏語圏で生活するということ」それ自体が重荷になることもしばしばであり、「疲れ」の度合いも大きい。ここに移ってきたことで、支払わなければならなくなった犠牲の大きさを認識する度に「言葉のわからない大学で何を学ぼうというのか?」と何度も、何度も自分に問いかけた。自ら望んで選んだこととはいえ、この点に関して考えない日はない。あまりの枷の重さに恐怖する毎日だ。



でも、その疲労と恐怖を差し引いたとしても、次から次へと色々な事が起こり、飽きるヒマを与えられない今の生活は、ある種とても贅沢なものだろうとは思う。

「挑戦に生き続けることができる」
これはこれで、ひとつの幸福の形なのかもしれない。



なんにせよ、こんな自分をはげまし、支えてくれている人々へ心から感謝したい。








また、ここから一年、無事に過ごせますように。










悪いんですが、この記事に関してはコメントは勘弁してください