城壁の街で : At The Walled City Blog

カナダ・ケベックシティ在住、ラヴァル大学院生の生活雑記
Université Laval, Québec City

銀髪の少年達は

2007-03-05 | 好きだ!
いしいしんじに関しては前にも一度書いていますが、ここでもう一度書きます。
作品にたいする基本的な感想は以前の記事を参照してください。

過去記事:ぎりぎりの生




この間、学会で帰国したときにいしいしんじの文庫本を二冊仕入れた。
「トリツカレ男」と「プラネタリウムのふたご」である。
なんだかんだで両方とも読んでしまったのだけれど、


やっぱりこいつの小説は強烈だ



「大きな喪失に見舞われたとしても、それでも人は生きてゆかなければならない」
というのが、いつも僕が受けるメッセージなのだけれど、他の人はどういうテーマやメッセージを感じ取るんだろう? 物凄く興味がある。


喪失感といえば、村上春樹も「喪失感」の表現が大きな比重を占めている部分があると思うのだけれど、あの喪失感はもっと現代的で漠然とした感じだ。 でも、いしいしんじの書く喪失はもっと直接的で、暴力的で、喉元を手で締め付けられるように痛く苦しい。

前にも書いているけれど、どんな神経をしていたらあの文体であの内容が書けるのか?本当に謎だ。 しかも、あの独特の世界観を話の途中で破綻させず、毎回書ききっているのは脅威だ。






さて、このいしいしんじ作品、前回の帰国時は神戸のジュンク堂書店では平積みされていたけれど、大津の Tsutaya には一冊も売っていなかった。 まぁ、大分と認知はされてきているけれど、それは本好き連中の範囲にとどまっていて、一般に浸透しきるには至っていないということだろうとおもう。が、もっと売れてもいいと思う。


そうだ、文学の趣味は人それぞれだから難しい問題もあるのは知っている。
でも、いしいしんじに関しては一つ言っておきたい。



こんな小説を書ける奴は他にいないぞ。

みんな、今のうちからもっと騒いどけ。



特に、誰かが翻訳して、さっさと海外に出した方がいいと思う。根拠は全く無い個人的な見解だけれど、ヨーロッパあたりじゃかなりの評価を得られるんじゃないかと思う。

そうだ、海外で先に評価してもらえばいいんだ、そしたらバカのマスコミが騒ぎ出すんだ。



だれか、最低でも英語とフランス語には翻訳しろよ。


惜しむらくは、帰国時に母親が図書館で借りてきてくれていた「白の鳥と黒の鳥」を読む時間がなかったことだ。 母よスマン