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groovy days

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いざ!深沢城へ~!!

2011-02-07 | 歴史・史跡めぐり

実は、この御殿場に引っ越してきた時から

薄々気にはなっていたのだけど・・・

その頃は今ほど日本史に興味が無くて(少しはあったけど)

行ってみようと思いながら、なかなか行く事が出来なかった【深沢城址】に

今日はマリノをお供に、行ってみる事にした。

 

 

誰がいつ、築いたのかは定かではないようだけど

16世紀初頭に、今川家で作ったとも、それ以前にあったとも言われているけど

この辺りは駿河の今川、甲斐の武田、相模の北条との国境地帯だったこともあって

この三国で城を取り合っている。

 

そう考えると、なんだかそんな土地に住んでるなんて

歴史好き、戦国時代好きにはたまらん事ですなぁ~♪

 

でもその前に・・・

 

 

我が家の娘達(オババ達)の相手もしないといけない・・・という事で

まずはEXPASA足柄の下りエリアにあるドッグカフェ

『huladog』でランチです。

今日はお一人様じゃ~ありませんよ~。

マリノというお供がいるのです(*^_^*)

 

実はクルマの中ではマービンも待機しているのだけど

ここのところ痴呆症がちょっと出始めているので

こういう場所は、かえってストレスかな~と思い、あえてマリのだけお共にした。

ハンバーグとライスとサラダのセットにしてみました。

この手作り感のあるハンバーグがいいでしょ?

美味しかったです。

 

ここで必殺iPadを取り出して、深沢城址が何処にあるのかを探す。

google mapには載ってないようなので苦労しながら探し

大体わかったので・・・

とりあえずドッグランかな~

だってね~、この方たちが許してくれないんだもん。

マービンもたくさん歩きました(徘徊しました)。

かんり満足してくれたみたいで、車に戻ったら大人しく寝てしまった。

 

マービンとマリノをちょっとだけ満足させて

これからは私の満足タイム!

 

さっき地図で調べたとおりに車で行ってみるも

城の入り口がどこだか全くわからない(;´Д`)

大きく周りをグルグルしてしまい、とりあえず元の位置へ。

 

違う方向から元の位置に戻ってきたら、ありました\(^o^)/

お城の案内と入り口。

苦労しちゃったよ~(^^ゞ

たぶんここから入っていくのが順路なんだろうな・・・。

これによると、やっぱり城主はいろいろ変わったみたいだけど

城の特徴は武田様式の色が強いみたい。

 

 

では、これからマリノをお供に城跡見学、行って参ります~(´∀`*)ノ

 

指定文化財と言っても、もうこのあたりの土地は

武田や徳川のものでははなく、普通に御殿場のどなたかの所有する土地となっていて

敷地内には普通に民家も建っている。

 

だから、勝手に入っちゃっていいのかなぁ~???

と、意気込んできてみたものの、ちょっと気が引けてきたぞ~ガクガク(((n;‘Д‘))η

 

 

そこへ向こうから畑仕事を終えたお爺さんがやってきたので

「深沢城の城跡の見学してもいいですかぁ~?」

と聞いたら

「どうぞどうぞ」

と言われたので、安心して行ってみることに♪( ^ω^)ワクワク

 

まず最初に出迎えてくれたのは

《詩碑入り口》

これ、なんの詩碑なのかなぁ~?

こんなのが建っていたけど、『戦没』がどうのこうのって・・・

あまり私の好きな時代とは関係ない?のかなぁ~?

 

ここはささ~っと見て

次に向かいまぁ~す。

 

深沢城は北から本丸、二の丸、三の丸となっていて

他に下馬留、食糧庫、馬出、二鶴様式堀というものがあるらしい。

しかしながら・・・

私は日本のお城の用語がまったくわからなくて

ネットで検索してみたのだけど、イマイチピンとくるサイトがなくて・・・

わかっていたらもっと楽しめたのかな~

と思うと、ちょっと悔しい気持ちになっちゃうな。

ここは三の丸跡です。

素敵な農村の風景。

この画像のすぐ左側には、民家があります。

今は三の丸も田んぼになっているのですなぁ~。

 

次に出てきたのは《下馬留》という所。

調べたところによると、城の入り口の防御と出撃の為に

入り口前の堀の対岸に築いた小さな平坦地の事を言うみたい。

 

深沢城には3つあるとの事。

 

ここを通り過ぎると道が二手に分かれる。

どちらに行っても二の丸にたどり着くので、とりあえず真っ直ぐ行ってみよう!

 

そうするとすぐに二の丸の案内が出てきましたよ~。

ちょっと坂になっていて、なんだか山道みたいでワクワクのマリノ。

フレキシのリードにしてたら横の藪に入ってしまのよ。

ビーグルって怖がりのくせに、異常なほどの好奇心!

やめてくれ~~~~(ーー;)

 

さて、《二の丸》入り口が見えてきましたよ~。

今は何にも無い平地になってるね。

来た道を振り返るとこんな感じ。

何にも無いのね。

ここにお城があった頃は、武士達が行き来してたのかな?

 

そして本丸が見えてきた。

《本丸跡》です。

ここに武田の家臣、駒井右京之進が城主として城を守っていたのか。

駒井って、大河ドラマの『風林火山』に出てくる駒井のこと?

あの若手の俳優・・・なんていったっけ?

『医龍2』にも出てたよね。

 

《袖郭》

柵を覗いてみたら、川があった。

この城は馬伏川と抜川に挟まれた

自然の地形を生かした堀を持つ城だときいていたけど

本当にそうだな~。

 

この川の流れの音・・・今も500年前も同じ音で流れていたんだよな~

そう思いながら、目をつぶってタイムとリップの妄想のなかへ

数分入ってしまった。

その先

あ~字が読めない・・・。おばか(>_<)

《袖郭》とかいろいろ案内出ていても

今の私にはこれが何なのかわからないのが悔しい。

 

感慨深く浸っていると、マリノが飽きてきたらしく

フンガァ~フンガァ~鳴いているので、諦めて戻り道。

 

二の丸はぐる~っと囲むように道があったので

逆周りで三の丸まで戻る。

途中、木が何本か倒れていたけど

これ、数年前の台風のときに倒れちゃったのかな?

それとも去年の台風の時?

古道って感じで、武士が通ってたのかな~なんて

またまた妄想の世界です。

ちょっと行ったら《食糧庫跡》

二の丸と同じ敷地にあったみたい。

ここから先が食糧庫だったのね。

 

そしてどんどん戻っていくと

という、珍しい?形の堀らしいのだけど

とって藪化していて、堀がどうなっているのかはわからなかったよ。

これじゃ~・・・見えないもん。

 

これで直接城の建っていた場所の見学は終わり。

いったんスタートした場所に戻り

この後、武田家のお城によく見られる《三日月堀》を見にいくよ!
通り沿いに案内が出ていたので行ってみまぁ~す。
この堀が、三日月のような形をしている・・・ということなんだろうか。
これが武田家の城の特徴らしいです。
躑躅ヶ崎館もこういう堀になっていたのかな?
お堀のお向かいの家のワンコが
ひょっこり覗いていたよ。
(ちょうど画像の中心あたり)
じ~っとこっちを見てるだけで、吠えなかった。
なんとなくかわいい~。
車をとめてある所まで引き返す途中で
《八幡宮入口》の」案内があったので行ってみた。
道は三の丸の敷地に出てきて、途中に
《八幡宮》があった。

小さいけど、神様。
これって・・・ 本当に戦国時代からあったのかなぁ~?
だとするとすご いんですけど・・・。
あとで調べてみ ようっと~。

 

これで本日の深沢深沢城址見学はおわり。

 

なんだか知らない事だらけの自分が残念だな。

もっと用語をしっかり勉強してこないと、見に来てももったいないね。

 

城マニアになっちゃったりして!

今のところそのつもりは無いけどね。

昔の人と同じ場所に立ってみたかっただけだから。

 

 

去年は武田信玄の居城《躑躅ヶ崎館》(甲府にある現、武田神社の事)や

上杉景勝と直江兼続が幼少の時の学舎《雲洞庵》にも行ったので

近いうちにアップしたいと思っていますが、いつになることか・・・。

 

 

気長にお待ち下され。

 

 

 

 


大雪の長野・善光寺詣~史跡めぐり(川中島古戦場) その2

2011-01-16 | 歴史・史跡めぐり

 

つづきです。

 

 

中野市の『郷土食堂』幻の富倉蕎麦を頂いた後

これも年中行事になってしまったな~

小布施の道の駅で、栗おこわを購入。

 

小布施に来たなら『小布施屋』とか『竹風堂』の有名店で買う人も多いけど

味は殆ど変わらなくて、お値段は道の駅のほうが断然安いし!!!

うさみみビーグルで隠れて見えなかったけど

一人前は確か600円、二人前が1000円くらいだったよ。

ついでにお百姓 ショップでりんごとか野菜とかワクワクゲット!

 

相方、ココで大好き なクレープを食べたかったんだけど

雪が心配になってきたので諦めてもらい、急いで善光寺に向かいます!

そのかわり、善光寺 にもおいしい蕎麦クレープの食べられるお店があるので

そこまで我慢です。

 

5時前です。

丁度日本海側は大寒波が来ているようで

長野も大雪・・・タ イヤが心配だぁ~!

(インチキスタッドレスになってしまったので~)

 

実は最近、ブレーキ パッドの減りを示すビックリマークも点灯してたりしていて

かなり危険な私の愛車・・・。

だから八幡社で安全 祈願したんだけどね。

 

 

5時過ぎ、善光寺到 着。

スッゲ~雪!

こんな善光寺に来た のは初めて。

 

で、相方期待のク レープやさんは、残念なから閉まっていました。

この時間じゃ微妙 だったかね。

小布施で食べさせて あげれば良かった・・・。

もうお寺の売店も何 もかも終わっていて

あとは勝手に( ゜Д゜)ノ⌒⑤┃奉納┃して~って感だった。

人もまばらで、ちと 寂しい初詣となりました。

 

相方には、クレープ の代わりと言ってはなんですが

カフェでお茶してあ げることにしたよ。

 

江戸時代の創業から 旅館としてやってきた『FUJIYA Gonjin』

今は結婚式場として 営業し ているけど建物は指定文化財だそうで

併設されていいる喫 茶店

『藤屋』に入ってみ ることにした。

さむ~い外から入っ てきたら、温かいストーブがお出迎え

6時半でオーダース トップと言われたけど(入ったのは5時半頃)

そんなに長居もできないから、問題ない、問題ない。

相方の大好きなチョコレートケーキを一緒に頂きました。

シンプルだけど、 しっとりしていてマジで美味しかった。

 

 

さてさて、「雪が心配」とか言いながら

長野に来た目的を全部果たそうとしている私。

その締めくくりがココ。

『スーパーツルヤ』

北信、中信、東信に しか無い素敵なスーパー。

長野県産にこだわりを持ったスーパー。

PB商品が安くて美味しくて、品質も良し。

そしてそのままお土産として使える。

私が学生の頃から定評があったからな~。

その頃はこんなおしゃれなスーパーじゃなかったんだけど。

 

善光寺にある八幡屋礒五郎の唐辛子系の商品を買うなら

本店、直営店やふつーの土産物屋で買うよりも、ツルヤで買う方がお安いのよ~!!

七味とか七味ゴマしか無いけど・・・。(ウチはそれでいいんだぁ~)

 

長野に来たなら、絶対に寄らなくっちゃ!!

 

しかし

 

ここで一番買いたかった『かねこみそ』の甘酒は売り切れ寸前で

300㍉リットルのペットボトルがあと2本残っているのみ。

これはさっさとカゴに入れてしまい

ツルヤオリジナルの甘酒もあったので、ついでに購入。

 

・・・と、時間を掛 けて物色していたせいで

本日小淵沢に宿を とっているので、更埴から高速で向かおうとしたのだけど

ナント!!

豊科まで規制がかか り、高速が通行止めになっていた!!ガ━━(;゜Д゜)━━ン!!

 

こんな雪の夜 に・・・

こんな怪しいタイヤ で・・・

ブレーキパッドも怪 しいのに・・・

これから峠を超えな いといけないのです・・・。

 

豊科までは、街中を走るというルートではありません。

R403という、聖高原、猿ケ馬場峠を越える山道です。

運転していたのは相方なんだけど、私もドライバーになった気分で助手席にいたので

神経すり減らしてしまった。

 

無事に峠を越えてこれたのは、雪が降っていたから?

新雪だったからグリップが効いてたのかしら?

これが1日経っていた道路だったらツルンツルンだったかも???

 

長野市を出たのが夜7時過ぎで、もう9時近くだったけど、まだ夕食にもありつけていなかった。

(予定ではこの時間には、もう宿でゆっくりしているはずだったのに)

 

道路が麻績のインターの前を通っているので

高速の通行止めが解除になっているかかくにんすると

ラッキーなことに、解除になっていました。ヤッター!!

 

結局たった1区間を2時間近くかけて走ってきた。

 

麻績から高速乗り、梓川S.Aで簡単に夕食を取り

小淵沢に着いたのが11時半近くだった。

 

 

宿にはちくいち状況を報告していたので

もう勝手に部屋に入ってもらっていいです・・・と。

「あんたたちが来るまで、起きて待ってれへんわ!」って感じだったのでしょうかね~。

こっちはその方が楽で助かったけどね。

 

 

朝も早かったので、お風呂に入って軽く一杯飲んだら

す~ぐに眠たくなってしまいました。

いや~、マジで疲れたから・・・。

まだ明日もあります。

ゆっくり休むことにしましょう。

 

 

とりあえず今夜はこんなところで・・・

 

 

おやすみなさい。

 

2日目につづく。

 

 

 

 

 

 


大雪の長野・善光寺詣~史跡めぐり(川中島古戦場) その1

2011-01-16 | 歴史・史跡めぐり
なんとなく毎年恒例化している、この時期の善光寺詣。

今年も行ってまいりました。

家を出た時はこ~んなにお天気だったのに

松本を過ぎたあたりから道路脇には白いものが・・・。

我が家も冬にはスタッドレスタイヤ必需品のエリアだけど

豪雪地帯ではないので、ちょっと賞味期限切れ気味のタイヤでも

まぁ~乗り切れるかな・・・って感じなのだが

豊科インターでタイヤ規制なんかがあり、この先、本格的な雪なのねん。

 

長野インターを降り、川中島古戦場公園を目指したら



こんな感じでした。

白銀の世界。

 

信玄と謙信、こんな雪に合戦しなくて本と良かったよ。

 

この1年ですっかり歴女になってしまった私。

今日、まず先にここに立ち寄ろうと思ったのは

1年前の善光寺詣の時、予定の最後に立ち寄ったら(その時も雪が積もってた)

夕方で、博物館も終わっていて

しかもチョ~寒い!!

寒すぎて「ここが武田と上杉が戦ったばしょか」なんて

じっくり散策する気も起きず、さっさと帰ってしまったので

今回はまずその続きから・・・ということで

やって来たのでした。

 

マービンとマリノは車でお留守番しててもらって、まず向ったのは長野市立博物館。

当然、武田信玄と上杉謙信との戦いの事など

詳しい資料などが展示されてあるのかと思いきや

よくよく調べてみたら

この辺りの歴史と生活全般ということで

特に戦国時代のことを詳しく展示しているわけではなさそう・・・なのだが

ジャ~ン!!

今回はラッキーでした。

 

期間限定で、川中島の戦いがその後どのようにドラマ化していったのかに焦点をあてたという

江戸時代の文化や近代の映像で重ねあわせて見ることが出来るというもの。

戦国時代当時はそんなにすごい戦いだったと持てはやされていなくて

天下泰平の江戸時代半ば、歌舞伎とかで演じられるようになって話題になったとか・・・。

今に伝えられているこの時の話は

殆ど江戸時代になって語られ始めたものだったということがわかった。

 

戦国時代当時の資料や記録からは、ほとんどの状況を復元することは出来ないそうです。

 

なんだか・・・ちょっとガックシ。

ここでは、一番激しかった最後の戦いが、どのような成り行きだったかを知ることが出来る。

 

他にも信玄の直筆の書状があったり

古絵図で当時の状況を知ることが出来る。

 

 

もっともっと見ていたかったのだけど、時間もそんなに無かったので

急いで他の展示物も見に行ってみた。

 

こちらは常設展示物で、世界は一気に縄文時代とか、弥生時代とかにトリップ。

もう絶滅してしまったそうだけど『ムース』という

鹿っぽい動物が、この辺り一帯にいたようだ。

 

こちらは明治、大正時代の民家の様子だったり、

昭和初期の民家のしつないを再現してあって、ちょっと懐かしい感じ。

ブレちゃったけどね~。

 

こちらのセクションにも、ちょこっとだけど川中島の戦いの様子が展示してありました。

 

 

結構な時間長居してしまった。

マービンとマリノを、エンジンをつけっぱなしのクルマの中に残してきているので

ちょっと心配になり、急いで駐車場に戻る。

 

も~う!!待ってたんだから!!

と、言わんばかりにガシガシ雪の中を進み出す2匹。

だって~、前へ進むしか脳がないんだもん!!

 

駐車場からもう一度博物館の方向に向かうようになるけど

歩いて行くと

武田信玄と上杉謙信両雄一騎打ちの地・・・という場所があって

こ~んな像がありました!

よ~くドラマで再現されるシーンですね。

謙信がたった一人で武田方へ乗り込んで行って

そこにいた信玄と一騎打ちしたという・・・。

ここが、その場所らしいです。

 

その場所に私も立っていると

急にタイムスリップしてこの時代に迷いこんでしまったらどうしようと・・・

 

丁度一騎打ち最中に、この間に入ってしまったらどうしようかと・・・

ちと怖いなぁ~

 

なんて、アホなことを妄想しまくってしまいました。

 

奥へ進んでいくと『八幡社』があります。

信玄が、ここに陣を張って戦に挑んでいたそうです。

私も・・・今回の旅の安全をお祈りしました。

 

勘助のお墓とか、まだまだ見てみたいところはたくさんあったのだけど

こんな雪だったので、それはまた次回に回すことに。

 

 

 

もうお昼をとうに回っていたので、何を食べようか相方と相談した。

 

善光寺近くにある、蒸し料理のお店にも行ってみたかったのだけど

結局去年と同じコースで、中野市で富倉蕎麦が頂ける『郷土食堂』に行く事に。

 

長野電鉄山ノ内線中 野松川駅近くにある富倉出身のおばあちゃんが打つそばで

はじめて富倉そばが富倉を出た由緒のあるそば屋さんなんだよ~!

大根の煮物はお通し。

これは、謙信が好んだ笹ずし。

信玄との北信濃の支配権をめぐって川中島の合戦に出向く際に

越後の春日山城からこの富倉を通過して行ったそうで

その時に、村人が笹の葉の上にご飯とおかずを載せて差し出したのが始まりだとか。


お蕎麦は戸隠蕎麦みたいに『ぼっちもり』になってます。

オヤマボクチという、ゴボウ科の植物の葉を繋ぎに使っている

コシの強いお蕎麦は、本当に美味しかった。

 

 

その2につづく