《その2》『むかしセガ・エンタープライゼスという会社があった』

2020-04-11 | バーチャルリアリティ解説
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 □ 追記(2020.04.08):『ぼくたちの大好きなセガ』(2006年)を改題しました。なお、一番最初のタイトルは「セガにおけるアミューズメント事業の展開について」(1993.8.4 社団法人大阪工業会「平成5年度 新商品・新事業開発研究会」における 社外講演の記録、講演者: 株式会社セガ・エンタープライゼス 第5AM研究開発部 武田博直)でした。

 『むかしセガ・エンタープライゼスという会社があった』目次
 (1)セガ・エンタープライゼスの 概要】 【研究開発 / 生産統括部門】 【施設運営 / 機器販売部門】
 (2)【コンシューマ機器販売部門】 【郊外型アミューズメント施設】 (途中まで)
 (3)【郊外型 AM施設】 (続き) 【都市型アミューズメント施設】 【郊外型 / 都市型施設の 機器構成】
 (4)【研究開発部門(R&D)の仕事】 【AS-1の誕生】
 (5)【家庭用コンシューマ機器の開発】【ハイテク・テーマパーク】

                                                              □■□■□■□■

【コンシューマ機器販売部門】

 コンシューマ機器(家庭用)の販売については、国内、欧米、アジア地域など、仕向け地毎に、それを専門に担当する販売部門がある。それらの部門のすべてを合わせると、売上高は 2292.7億円(会社の売上全体の 66.1%)であった。
 (筆者の所属が業務用機のR&Dであるため、本稿では、ほとんど家庭用について触れなかった。しかし、《その5》に 少しだけ、「ソニック・ザ・ヘッジホック」について記している。)

 〇 この頃の セガ・エンタープライゼスでは その売上の 3分の2が「家庭用」部門だったことで、日本企業の経営分析が不得意な外資系の 某証券会社が「SEGAは家庭用に強い」と勘違いをしていた。その海外の数字は 主に小形専務が稼いだ売上で、それに比較して 日本国内向けの家庭用部門は会社の最弱点で、売上未達を何度も繰り返していた。

【郊外型アミューズメント施設】

 アミューズメント施設は、会社が上場を果たした昭和 63年頃まで、「ゲームセンター」(ゲーセン)と呼ばれていた。お客様は 殆どが男性で、平均年齢は 18才位。多くは 100坪程度の施設で、室内の「内装」に気を遣う店は皆無だったと言って良い。念のために付け加えておくと、現在では、この頃のような内装のお店は、わが社の運営している店舗には、ほとんど無い。女性客も 以前は僅少だったが、90年代以降は 半分半分になっている。 雰囲気が良く、デートコースになっている店舗も多い。
 市場規模も以前は小さく、上場以前のわが社は、運営部門と機器販売部門を合わせて 200億円強の売上(上場当時でも、やっと 500億円弱)でしかなかった。しかし、運営部門や販売部門の売上が大きく伸びるきっかけになったのは、(1)  女性にとても喜んで貰える新しいゲーム機器が開発された、ことと、(2) 「郊外型アミューズメント施設」という新しい施設展開をセガが始めた ことからだ。会社にとってどちらも重要なこれらの二つの出来事は、ほぼ同時期に始まっている。


 UFOキャッチャー (1985年) 

 画像借用:https://ja.wikipedia.org/wiki/UFO%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Newufocatcher_%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC.JPG


 郊外型施設 アルパーク (1990年)

 画像借用:https://www.city.hiroshima.lg.jp/kikaku/kikaku/vi/hiroshima2/text_page08-1.html

 昭和60年に、SEGAの研究開発部門 AM4研 は、以前からあったクレーン型のゲーム機を改良して 「UFOキャッチャー」という機種を開発した。中に収められた ぬいぐるみの人形については、おもちゃ屋さんには市販されていないものを用意した。また、同じ頃、ロシア生まれのパズル型ゲーム「テトリス」が大ヒットする。 わが社では業務用機に「テトリス」のライセンスを取得して、昭和63年から製造を始めた。これらが登場して、女性に歓迎されたことで、以前は小さな店舗では僅少だった女性の来場者数が、一気に30%前後にまで増加した。OL、女子大生や女子高生など、給料やバイト等による可処分所得のある女性たちである。店内を明るく、内装も綺麗にして、女性専用のトイレも拵えるとか「UFOキャッチャー」を目立つように入り口に置くといった工夫で、女性の来場者の割合は目に見えて増えるようになった。

 (【2006年の追記】 このほか、当時の第一研究開発部 AM1研 では、「ファンタジーゾーン」という元祖 買い物シューティングゲームを 業務用機として、86年、つまり「テトリス」の 2年前に発表していた。当時部長だった 石井洋児氏によれば、これも「女性客を増やしたい」ための初期の試みだったそうだ。しかし業務用機は一般に、ライフサイクルが 3ヶ月位と短かったことから、このすぐ後に登場した「テトリス」や、この次に述べる郊外型や都市型アミューズメント施設による女性客の急速な増加とは、微妙なタイミングで時期がずれてしまった。 そのため、「ファンタジーゾーン」は 有名には ならなかった。  しかし、作品としては とても面白かったので、家庭用ゲーム機「マークⅢ」や「メガドライブ」「セガサターン」のほか、任天堂のファミコンなどの他社の家庭用ゲーム機に移植されて プレイした人には大変好評だった。) なお、セガ・エンタープライゼスのゲームソフトを任天堂に売り込むという当時の「おきて破り」の販売で 家庭用ゲームの外販に はずみを付けたのは、矢野一隆氏だった。

 ところで、施設運営部門の一人の課長(野崎佳久氏)が、平成元年に ある重要な提案をしている。土地バブルのために新規施設を開店するための補償金が高騰してしまい、従来のように街なかでの店舗展開を繰り返していると 数億円単位で運営資金が(補償金として)眠ってしまうので何とかしたい、というのが当時のわが社の抱えていた課題だった。その頃、彼が気付いてみると、数多くスーパーマーケットや大型書籍店、レンタルビデオ店などが郊外に進出し始めていた。車で出掛けることを前提にした、米国のような「ロードサイドビジネス」の急進。その成長が今後も続くと確信した彼は、郊外のスーパーマーケットに併設した運営形態の「郊外型アミューズメント施設」という新しい店舗展開の考え方を提案した。その施設規模は、250坪以上。広い駐車場があるスーパーマーケットなどに、外食の店舗と、アミューズメントの店舗を併設する。
 つまり、アミューズメントに飲食と物販を加えた複合施設なのである。そこに顧客は、車で来店されるので、商圏が非常に広い。複合施設なので顧客の滞留時間も長く、それぞれの店舗が単独の出店で得られないメリットを得ることになった。
 昼間は、母親と幼児、休日はそれに父親を含めたファミリーが、買い物のついでに遊びに来られる。内装は明るく、窓も広く取った。それで夜には広い窓を通して、内部が素通しに見える。それで不良の溜まり場にもなることもなく、親御さんからは、「他所の汚いゲームセンターに行ってはいけないけれど、SEGAの施設に だったら行って良い」と言って貰えることになった。このように野崎課長の狙いは、面白いように当った。

 〇 海外の家庭用ゲーム展開は やがて頭打ちと言える時期を迎えるのだが、その少し前からセガの経営を支えて 売上を拡大させていたのは 野崎課長が提案した郊外型の店舗展開だった。なお、野崎氏のお名前は、上田純美礼著『総合アミューズメント企業セガ』(1995年)p.94などに公示されているので 執筆当時の実名に戻した。 
                                                                                 <つづく>

《 鋳型化ここまで 》
 フェロー武田 『むかしセガ・エンタープライゼスという会社があった』(2)
 Blog TP-VR Attract.のトリビア  2021.7.30

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