「補講A : マルチメディア と インタラクティブ」
「奥儀皆伝(5)」では、1970 – 80年代の「人工現実」で実現された インタラクティブ、あるいは、実現が期待されていた インタラクティブを紹介しました。
ともあれ、これまで
「奥儀皆伝(5)」では、1970 – 80年代の「人工現実」で実現された インタラクティブ、あるいは、実現が期待されていた インタラクティブを紹介しました。
ともあれ、これまで
インタラクティブ + ( 大画面の )「体感劇場」 = バーチャルリアリティ
という等式について、何度か言及しています。
それで、このままで先に進もうかな、とも、この第6回 のBlogでは最初は そう考えていたのです。
・ 「体感劇場」には、インタラクティブ性、つまり、観客からのバーチャルな世界への即時的な関与は ありません。
・ ウォルト・ディズニーは 「テーマパーク」を作ったときに、自身が訴えたい幾つかのテーマを、観客には 「体感劇場」を通して体験して貰おうと考えました。そのために、アトラクションを用意しました。
例えば、旧約聖書に書かれた教訓を、今の子供達に理解しやすく伝えるための 『ピノキオの冒険旅行』がその一つです。ここでは、トロッコをトンネルの中に通して、観客を物語世界に没入させるという方法が試されました。
・ 観客に、こうしたテーマを一番強く印象付けるために、ウォルト は、ダンテの 『新曲』などと同じ構成をテーマパークに持ち込みました。云々。
実は、第6回には、こういった内容を書こうと予定して、8割がた執筆も終えていました。
しかし、皆さんは前回の説明だけで、インタラクティブについて 「すっかり分かった」という気持ちになりましたか?
インタラクティブの重要性を、関係者が十分に認識できなくて、「マルチメディア」の大きな市場が失われました。現在の家電に、その残滓が見えます。VRも、うかうかしているうちに同じになります。
筆者は、「インタラクティブ」の面白さが利用者に気に入られなければ、市場規模が狭まると考えています。「体感劇場」ばかりになるからです。それで、今回と次回で、一番分かり易い「マルチメディア」の説明を、補講として書くことにしました。8種類のマルチメディアが出てきますけれど、どれも「定義」と呼ぶには不完全でした。
岡田斗司夫氏は、筆者が大好きな評論家です。彼が東大で講義した 『東大オタキングゼミ』(自由国民社、1998年)は、友人たちに購読を薦めている好著です。ところで、そこには、こう書いてありました。いろんな人が「マルチメディア」を定義しようと、がんばったけど、誰もできなかったので、今はもう、そんな事しなくても良い、という事になっている。だそうです。・・・ 黙っていて、ごめんなさい。実は、マルチメディアの正確な定義は、筆者は 1993年12月に思いつきました。それで、群馬大学で非常勤講師として 「学際領域授業」 隔週3回合計12時間の時間枠を 98年6月に頂いた時に、いつもですと中途半端な説明で終わるのが長く話せて嬉しくて、以下の内容は レジュメを用意して全部、説明しました。それに、下田博次教授が全講義をビデオに撮って下さってますから、公開可能でした。( この講義も、セガ広報のU課長から 「リクルート的に是非引き受けて下さい」と強く要望されて出かけた 「社外講演」でした。)
『東大オタキングゼミ』は、テーマパークの章を先に読み、マルチメディアは斜めに読んだのでそこに気づかず数か月後に気づいてびっくりしましたが、そのままになりました。当時、ある新聞社のパソコン雑誌が発行されていましたから、編集の方にお願いして、マルチメディアの定義だけでもコラムに書かせて頂けば良かったかな、と反省しています。前置きが長くなりました。
◎ アップル社の ジョン・スカリー社長が 92年に「やってしまった」3兆5千億ドルの 幻の市場規模予測
米国の放送機器展NAB 92で、スカリー社長は 「マルチメディアは、10年で、3兆5千億ドルの巨大市場になる」と、ついつい言ってしまいました。日経新聞などに この数字が紹介されて大騒ぎになり、コンピュータ関係者の目の色が変わりました。本屋に 「マルチメディア」と題した本が山のように並び、NHKなどでも紹介番組が組まれました。
ところが、この数字は、幻だったのです。当時、アップル社は Newtonという名のPDA( personal data assistant )を発売しようとしていました。この頁 の写真の右側です。その左が、比較のための 現在の iPhoneですから、Newtonは サイズではiPadの先祖だ、と言っている人もいるのですが。
しかし、Newtonは、歓迎されるはずの 「手書き文字認識」が、認識率の低さで評論家達に酷評され、そのほかの利便性も目だたず売上不振になってしまい、スカリー社長辞任の理由の一つになりました。3兆5千億ドルというのは、この Newtonの試作機が まだ作られておらず、「購買者が現物を見る前の」 広告代理店が行なった市場調査の数字です。試作機が出来て、市場調査を改めて行なってみたところ、、、
そんな巨額な数字は、どこにも出てきません。 スカリー社長は青くなりました。
ここから先の話は、ご存知の方は、あまりおられないかも知れません。スカリー社長は、アップルコンピュータ日本法人の武内重親社長らと相談して、「マルチメディア」についての説明を言い換えることにしたのです。たまたま日本で、ニュービジネス関連の高額なセミナーを筆者の友人の会社が主催していたので、武内社長が講演された都内のホテルでのランチ オン ミーティングに筆者も出席させて頂いたのですが、そこで武内氏が講演された 「将来、3兆5千億ドルの市場が期待できるマルチメディア市場」というのは、こういう内容でした。Macintoshが ケーブルテレビの回線とつながることで、テレビも観られるPC( スマートTV )として改めて世の中に再登場して歓迎され、やがて学校教育の端末として使われる、という内容です。放送・通信・PC・教育の市場が統合されたものとして 3兆5千億ドルの市場になります、と、筆者の印象では、かなり口ごもった歯切れの悪い説明が行なわれ、スカリー社長がこう言っているんです、というご説明でした。この説明については、間もなく謎が解けました。ゴア副大統領が、アラン・ケイ、スカリーらと1年にわたってブレーンストーミングをした結果、インターネットを引いて 「GII 世界情報基盤」を整備すれば、全米のどんな田舎町の学校でも、世界の最高水準の教育が受けられる、と発表したインターネット教育の内容が、そのまま武内氏の話と同じ内容だったからです。歯切れが悪かったのは、インターネットというキーワードを、まだ言葉にできなかったからではないでしょうか。
ちなみに、その後の筆者の「社外講演」では、「GII 世界情報基盤」の 「全米のどんな田舎町の学校でも、世界の最高水準の教育が受けられる」というくだりで、毎回、聴講者から拍手を受けました。その後、クリントン大統領とゴア副大統領が 「二人で実際に学校に出かけて、インターネットのケーブルを運んでいる(各学校をネットに接続している)姿が撮影される」などのアピールも行なわれて、2000年までを目標に8000人のボランティアが協力して、全米の学校にインターネット回線が実際に張られました。現在の米国で、現実にPCを使った生徒ごとの個別学習指導のPCによる授業が各学校で普通に行なわれていることなどは、そのときの成果です。
その限りでは、ネットにつながったMacが、将来の大きな市場につながるという話は 「その通り」でした。
しかし、結局、93年6月にスカリー社長は辞任します。当時のMacは、スマートテレビだと誇らしく呼ぶには 13インチの白黒画面が極めて貧弱でした。筆者は、その年の秋の コンピュータ販社 国際展示会( COMDEX 93 Japan、幕張 )で、アップル社ブースの隅っこに ひっそりと寂しく置かれた スマートテレビの Macを眺めて一人涙していました。
スカリー社長の マルチメディア: PDAの Newtonのこと( 92年 )。 スマート TVとしての Macのこと( 93年後半 )
◎ ネグロポンテ教授の Being Digital
次の定義、ネグロポンテ教授の二つの定義も、重要度が、あまり高くない 「マルチメディア」です。
もともとの 「Multimedia」は、60年代に西海岸の大学などで行なわれた ロック・コンサート( サイケデリック・イベント )だったと言われています。( 後述します。) この言葉に 「全く新しい意味」を与えたのが、Sueann Ambronでした。彼女が Apple Ⅱ の大変に優れた教育システム 『ミミ号の航海』( 1984年 )の パンフレットに書いた文章から、新しい Multimediaの時代が誕生しました。( これも後述します。)
ところで、PCを使った教育システムとして Multimediaという名前が有名になると、「いや、うちのほうが先にやっていた」と言い出す人が出てきました。メディアラボの ネグロポンテ教授でした。
実際、『Aspen Movie Map』は 『ミミ号の航海』の6年も前、1978年に開発されました。画像: https://www.youtube.com/watch?v=2Ytd12d6qNw これは、知らない戦場の町に突入した兵隊に、直感的に、こっちに何があるか、という土地勘を与えるための映像システムです。PCが、2台のビデオディスクを制御して、現在の Google Mapと同じことを70年代でしたが やっていました。確かに、大したものです。『Aspen Movie Map』の開発者の多くが、その後メディアラボに移籍しましたから、ネグロポンテ教授のMultimediaについての発言には権威がある、とされたのです。
確か、NTTが費用を出して、ネグロポンテ教授に Multimediaの講演をして貰うために日本に招へいもしました。
ところでです。1986年の講演でネグロポンテ教授は、こう話しました。「現在、部分的に重なっている コンピュータ産業、印刷、出版、放送・映画産業は、その中に多様なものを含む大きなメディアとなる。」
MIT教授の 抜群に優秀な社会科学者 プール博士の『自由のためのテクノロジー』(1983年)からの抜粋でもある この見解については、当時の情報産業の多くの人たちを納得させているもので、極めて妥当でした。( 但し、「定義」としての要件は備えていません。) この言葉を、ネグロポンテ教授以外の方が( 例えば、用語辞典の編集者が ? )、さらに短く要約したようです。
「ビデオ映像、音声、データの組み合わせが マルチメディアだ」という定義でした。
この定義は、当時の「マルチメディア辞典」に必ず載っていました。( 間違っている理由は、後で述べます。)
さて、1994年に西垣通著 『マルチメディア』( 岩波新書 )が出版されました。この冒頭に、マルチメディアは デジタルな融合のテクノロジーだという主張が書かれています。1995年のネグロポンテ教授のベストセラー 『Being Digital』では、おそらく西垣氏のその主張にのっかって、マルチメディア については、こう定義されました。
「They say( 私の言葉ではなくて、誰かが言っているのだが )、ビデオ映像と 音声、データを組み合わせたものがマルチメディアだ、と言われている。でも、それって要するに、ビットが混じり合ったもの、ということだ。」
残念ですね。メディアラボの作品が面白いから期待してたのですが、「インタラクティブ性」が抜け落ちました。
この定義が 間違いだ と分かる事例を、一つだけ 挙げておきます。SW1以降の「スターウォーズ」では、背景、登場人物の全てが CGで描かれた映像、ということが良くあります。( ヨーダまでが CGです。)
CG映画は、デジタルですけれど、マルチメディアではありません。観客からのインタラクティブが無いからです。
ネグロポンテ教授のマルチメディア: ビデオ映像+音声+データ( 誤伝 )。 ビットが混じり合ったもの ( 95年 )
ついでに書いておくと、ここに書いたネグロポンテ教授の定義の誤りは、招へいされて講演した先が NTTだったこと、つまり、NTTのマルチメディア開発方針の間違いに引きずられて生じたものでもありました。もともと 「電話」は、インタラクティブなメディアでした。( 93年の講演で指摘しました。) 親御さんが、外国に留学中のお子さんに電話します。
「ああ、もしもし。雄ちゃんかい。元気?」
<利用者> 受話器( 受話口 ) ← あたかも目の前にいるかのような相手
↑
受話器( 送話口 ) ----------------
ところが、NTTの方たちは、通話を、
送話口の声の振動 → 通信ケーブル → 受話口の振動
だと考えて、
声を、「できるだけ早く、混信・ノイズ無く」 ケーブルの向こうに届けること、
という作業モデルで、遠隔通信の課題を解決しようとしたのです。 この通信ケーブルに、音と一緒に映像を乗せれば、テレビ電話が( 一応 )でき上がります。(「体験劇場」を作れば VRができる、という間違った考えと同じです。) でも、利用者にとっては、テレビ電話を使う目的は、自分が話したい相手と即時的に会話をすることでした。
<利用者> CRTモニター、スピーカー ← 目の前に いるかのような相手
↑
マイク ----------------
ついでに、『Aspen Movie Map』も、筆者の構成図の形式で書いておきましょう。
<利用者> 小画面のCRT ← そのCRTを通して見えるAspenの町
↑
タッチパネル( 行きたい方向の入力 ) --------
ですから、もし当時の NTTの技術者に 「インタラクティブ」について関心があれば、ネグロポンテ教授の講演に対しても、誰かが、「今後の インタラクティブの動向は、どうなりますか」と質問して、ネグロポンテ教授も「being only digital」では不十分だ、とそのとき気が付いていた可能性も、ありました。
NTTは、同様に 「光回線」の売り方についても、値下げ販売だけではなく、インタラクティブに操作される魅力的なコンテンツを揃える、という方向の競争ができたはずです。気づかないって怖いです。「インタラクティブ」への見落としが、せっかくの情報と通信の融合という巨大市場で、NTTの覇権を失わせることになるのかも知れません。
◎ NTTが 86年に「やってしまった」インタラクティブの無い定義
先に正解を書いておきますと、Sueann Ambronが1984年に Apple Ⅱ の優れた教育システム 『ミミ号の航海』の パンフレットに書いた文章が、( 不十分ながらも、)マルチメディアの定義の出発点として、とても妥当なものでした。
彼女の定義は、途中にいろいろあって、結局マイクロソフト社の Windowsの 「マルチメディア」アイコンとなります。
これは、次回のお楽しみに。
しかし、あと2つ、片づけておきましょう。 NTTの定義の間違いは、政府のマルチメディア政策を混乱させました。
先ほども書きましたが、もともとの 「Multimedia」という言葉は、60年代に西海岸の大学などで行なわれた ロック・コンサート( サイケデリック・イベント )のことだったと言われています。ロック演奏に、ライトショーやスライドショーを重ねたイベントで、ジョージ・コーツというパフォーマンス・アーティストは、「俺の始めた 『ハプニング』がマルチメディアの起源だ」と言っているそうです。「インタラクティブなプロセスで投影され、アニメーション化された環境に、パフォーマー、歌手、ダンサーらが自分自身を出現させること」だったと解説しているそうで、このときの 「Multimedia」という言葉が教育現場の視聴覚教育に転用されて、いわゆるマルチメディアになった、と考えている人も多いようです。
ちなみに、アル・ゴア元副大統領が、映画 『不都合な真実』(2006年) などで、舞台に大きなスクリーンを置き、自分の話に合わせて写真や動画を見せていましたが、ゴア氏は、それを「マルチメディア・システム」と呼んでいます。
とにかく、以上が 1960年代にさかのぼる 「Multimedia」のご先祖様探しでした。
WIREDという米国の雑誌が、以前、用語辞典を出したのですが、その中で、「Multimedia」については、Sueann Ambronが ( 60年代に使われていた意味から離れて )新しい意味を与えた( coined )と書いており、うまい言い方をするものだと感心しました。( newly coined wordで 「新造語」だそうです。) これは、次回に書きます。
だから、60年代のマルチメディアについては一旦忘れて貰って、1984年以降には、84年以降の新しいマルチメディアについて、その機能を議論する必要が あったのです。
ところが、NTTは、86年に発行された 『NTT技術陣による情報・先端メディア』という本に、こう書きました。
「(マルチメディア・システムとは ) 通常単一でも使用されうる種々のメディアを、さらに複数種使用して、効率的な情報伝達を行なうもの」だ。
( もしかするとですが、60年代の使用事例を教えてくれた米国人がいたのかも知れません。) ともあれ、これは、音声回線に映像を乗せるとマルチメディアのテレビ電話になります、ということと同じ定義です。これは、CCITTという国際通信連合の規格でも その方向で考えていたようですから、NTTばかりは責められません。
ただ、90年代に、通産省は 「マルチメディア」を生かした政策を出そうと意気込んで( なにせ350兆円ですから )、研究会や学識経験者の集まりを数多く行なったのですが、結論は出ず、ほとんどが 「中間とりまとめ」で解散しました。
その全部に NTTの技術者が、出席しています。
おそらく、通産省は、
・ ユーザの側にとって、どういうシステムが使いやすいのか、
・ ユーザの側から見て、どういうコンテンツが魅力的なのか、という方向で議論を期待していたと思います。
しかし、NTTにとっての コンテンツとは、
「利用者が持ち込むもの」
でした。しかも、通信の秘密がありますから、
このおじさんがいま電話で話している相手は、会社の同僚か、犯罪組織の黒幕なのか、
NTTには、原則として 「分かってはいけない」ことでもあるのです。
「ああ、もしもし。雄ちゃんかい。元気?」の場合も、コンテンツは利用者が用意しました。
<利用者> 受話器( 受話口 ) ← あたかも目の前にいるかのような息子
↑
受話器( 送話口 ) ----------------
私見ですが、NTTは、「ユーザー目線でシステムのパフォーマンスを評価できる」インタラクティブ技術の専門家を、今後数多く養成して、例えば、終戦後の家電製品業界で 雑誌「暮らしの手帖」が果たしたような役割を、マルチメディア市場、大画面VR市場で担えるよう、努力して行くことが望ましいのではないでしょうか。通信の高品質・高効率については、現場の技術者が必死で支えておられます。であれば、「そもそも、そのコミュニケーション手段は、なぜ必要か」「どんな思いが相手に届くのか」「今は何が欠けているのか」というインタラクティブな視点から、業界のため社会のために説明責任を果たす、という役割が今後は必要ではないでしょうか。これまでこうした役割は、NTTの弱点でもありました。しかしそれが克服できれば、8Kテレビが端末になる大画面VR市場で NTTは存在感を示すことが出来る、というのが筆者の考えなのですが。
それで、このままで先に進もうかな、とも、この第6回 のBlogでは最初は そう考えていたのです。
・ 「体感劇場」には、インタラクティブ性、つまり、観客からのバーチャルな世界への即時的な関与は ありません。
・ ウォルト・ディズニーは 「テーマパーク」を作ったときに、自身が訴えたい幾つかのテーマを、観客には 「体感劇場」を通して体験して貰おうと考えました。そのために、アトラクションを用意しました。
例えば、旧約聖書に書かれた教訓を、今の子供達に理解しやすく伝えるための 『ピノキオの冒険旅行』がその一つです。ここでは、トロッコをトンネルの中に通して、観客を物語世界に没入させるという方法が試されました。
・ 観客に、こうしたテーマを一番強く印象付けるために、ウォルト は、ダンテの 『新曲』などと同じ構成をテーマパークに持ち込みました。云々。
実は、第6回には、こういった内容を書こうと予定して、8割がた執筆も終えていました。
しかし、皆さんは前回の説明だけで、インタラクティブについて 「すっかり分かった」という気持ちになりましたか?
インタラクティブの重要性を、関係者が十分に認識できなくて、「マルチメディア」の大きな市場が失われました。現在の家電に、その残滓が見えます。VRも、うかうかしているうちに同じになります。
筆者は、「インタラクティブ」の面白さが利用者に気に入られなければ、市場規模が狭まると考えています。「体感劇場」ばかりになるからです。それで、今回と次回で、一番分かり易い「マルチメディア」の説明を、補講として書くことにしました。8種類のマルチメディアが出てきますけれど、どれも「定義」と呼ぶには不完全でした。
岡田斗司夫氏は、筆者が大好きな評論家です。彼が東大で講義した 『東大オタキングゼミ』(自由国民社、1998年)は、友人たちに購読を薦めている好著です。ところで、そこには、こう書いてありました。いろんな人が「マルチメディア」を定義しようと、がんばったけど、誰もできなかったので、今はもう、そんな事しなくても良い、という事になっている。だそうです。・・・ 黙っていて、ごめんなさい。実は、マルチメディアの正確な定義は、筆者は 1993年12月に思いつきました。それで、群馬大学で非常勤講師として 「学際領域授業」 隔週3回合計12時間の時間枠を 98年6月に頂いた時に、いつもですと中途半端な説明で終わるのが長く話せて嬉しくて、以下の内容は レジュメを用意して全部、説明しました。それに、下田博次教授が全講義をビデオに撮って下さってますから、公開可能でした。( この講義も、セガ広報のU課長から 「リクルート的に是非引き受けて下さい」と強く要望されて出かけた 「社外講演」でした。)
『東大オタキングゼミ』は、テーマパークの章を先に読み、マルチメディアは斜めに読んだのでそこに気づかず数か月後に気づいてびっくりしましたが、そのままになりました。当時、ある新聞社のパソコン雑誌が発行されていましたから、編集の方にお願いして、マルチメディアの定義だけでもコラムに書かせて頂けば良かったかな、と反省しています。前置きが長くなりました。
◎ アップル社の ジョン・スカリー社長が 92年に「やってしまった」3兆5千億ドルの 幻の市場規模予測
米国の放送機器展NAB 92で、スカリー社長は 「マルチメディアは、10年で、3兆5千億ドルの巨大市場になる」と、ついつい言ってしまいました。日経新聞などに この数字が紹介されて大騒ぎになり、コンピュータ関係者の目の色が変わりました。本屋に 「マルチメディア」と題した本が山のように並び、NHKなどでも紹介番組が組まれました。
ところが、この数字は、幻だったのです。当時、アップル社は Newtonという名のPDA( personal data assistant )を発売しようとしていました。この頁 の写真の右側です。その左が、比較のための 現在の iPhoneですから、Newtonは サイズではiPadの先祖だ、と言っている人もいるのですが。
しかし、Newtonは、歓迎されるはずの 「手書き文字認識」が、認識率の低さで評論家達に酷評され、そのほかの利便性も目だたず売上不振になってしまい、スカリー社長辞任の理由の一つになりました。3兆5千億ドルというのは、この Newtonの試作機が まだ作られておらず、「購買者が現物を見る前の」 広告代理店が行なった市場調査の数字です。試作機が出来て、市場調査を改めて行なってみたところ、、、
そんな巨額な数字は、どこにも出てきません。 スカリー社長は青くなりました。
ここから先の話は、ご存知の方は、あまりおられないかも知れません。スカリー社長は、アップルコンピュータ日本法人の武内重親社長らと相談して、「マルチメディア」についての説明を言い換えることにしたのです。たまたま日本で、ニュービジネス関連の高額なセミナーを筆者の友人の会社が主催していたので、武内社長が講演された都内のホテルでのランチ オン ミーティングに筆者も出席させて頂いたのですが、そこで武内氏が講演された 「将来、3兆5千億ドルの市場が期待できるマルチメディア市場」というのは、こういう内容でした。Macintoshが ケーブルテレビの回線とつながることで、テレビも観られるPC( スマートTV )として改めて世の中に再登場して歓迎され、やがて学校教育の端末として使われる、という内容です。放送・通信・PC・教育の市場が統合されたものとして 3兆5千億ドルの市場になります、と、筆者の印象では、かなり口ごもった歯切れの悪い説明が行なわれ、スカリー社長がこう言っているんです、というご説明でした。この説明については、間もなく謎が解けました。ゴア副大統領が、アラン・ケイ、スカリーらと1年にわたってブレーンストーミングをした結果、インターネットを引いて 「GII 世界情報基盤」を整備すれば、全米のどんな田舎町の学校でも、世界の最高水準の教育が受けられる、と発表したインターネット教育の内容が、そのまま武内氏の話と同じ内容だったからです。歯切れが悪かったのは、インターネットというキーワードを、まだ言葉にできなかったからではないでしょうか。
ちなみに、その後の筆者の「社外講演」では、「GII 世界情報基盤」の 「全米のどんな田舎町の学校でも、世界の最高水準の教育が受けられる」というくだりで、毎回、聴講者から拍手を受けました。その後、クリントン大統領とゴア副大統領が 「二人で実際に学校に出かけて、インターネットのケーブルを運んでいる(各学校をネットに接続している)姿が撮影される」などのアピールも行なわれて、2000年までを目標に8000人のボランティアが協力して、全米の学校にインターネット回線が実際に張られました。現在の米国で、現実にPCを使った生徒ごとの個別学習指導のPCによる授業が各学校で普通に行なわれていることなどは、そのときの成果です。
その限りでは、ネットにつながったMacが、将来の大きな市場につながるという話は 「その通り」でした。
しかし、結局、93年6月にスカリー社長は辞任します。当時のMacは、スマートテレビだと誇らしく呼ぶには 13インチの白黒画面が極めて貧弱でした。筆者は、その年の秋の コンピュータ販社 国際展示会( COMDEX 93 Japan、幕張 )で、アップル社ブースの隅っこに ひっそりと寂しく置かれた スマートテレビの Macを眺めて一人涙していました。
スカリー社長の マルチメディア: PDAの Newtonのこと( 92年 )。 スマート TVとしての Macのこと( 93年後半 )
◎ ネグロポンテ教授の Being Digital
次の定義、ネグロポンテ教授の二つの定義も、重要度が、あまり高くない 「マルチメディア」です。
もともとの 「Multimedia」は、60年代に西海岸の大学などで行なわれた ロック・コンサート( サイケデリック・イベント )だったと言われています。( 後述します。) この言葉に 「全く新しい意味」を与えたのが、Sueann Ambronでした。彼女が Apple Ⅱ の大変に優れた教育システム 『ミミ号の航海』( 1984年 )の パンフレットに書いた文章から、新しい Multimediaの時代が誕生しました。( これも後述します。)
ところで、PCを使った教育システムとして Multimediaという名前が有名になると、「いや、うちのほうが先にやっていた」と言い出す人が出てきました。メディアラボの ネグロポンテ教授でした。
実際、『Aspen Movie Map』は 『ミミ号の航海』の6年も前、1978年に開発されました。画像: https://www.youtube.com/watch?v=2Ytd12d6qNw これは、知らない戦場の町に突入した兵隊に、直感的に、こっちに何があるか、という土地勘を与えるための映像システムです。PCが、2台のビデオディスクを制御して、現在の Google Mapと同じことを70年代でしたが やっていました。確かに、大したものです。『Aspen Movie Map』の開発者の多くが、その後メディアラボに移籍しましたから、ネグロポンテ教授のMultimediaについての発言には権威がある、とされたのです。
確か、NTTが費用を出して、ネグロポンテ教授に Multimediaの講演をして貰うために日本に招へいもしました。
ところでです。1986年の講演でネグロポンテ教授は、こう話しました。「現在、部分的に重なっている コンピュータ産業、印刷、出版、放送・映画産業は、その中に多様なものを含む大きなメディアとなる。」
MIT教授の 抜群に優秀な社会科学者 プール博士の『自由のためのテクノロジー』(1983年)からの抜粋でもある この見解については、当時の情報産業の多くの人たちを納得させているもので、極めて妥当でした。( 但し、「定義」としての要件は備えていません。) この言葉を、ネグロポンテ教授以外の方が( 例えば、用語辞典の編集者が ? )、さらに短く要約したようです。
「ビデオ映像、音声、データの組み合わせが マルチメディアだ」という定義でした。
この定義は、当時の「マルチメディア辞典」に必ず載っていました。( 間違っている理由は、後で述べます。)
さて、1994年に西垣通著 『マルチメディア』( 岩波新書 )が出版されました。この冒頭に、マルチメディアは デジタルな融合のテクノロジーだという主張が書かれています。1995年のネグロポンテ教授のベストセラー 『Being Digital』では、おそらく西垣氏のその主張にのっかって、マルチメディア については、こう定義されました。
「They say( 私の言葉ではなくて、誰かが言っているのだが )、ビデオ映像と 音声、データを組み合わせたものがマルチメディアだ、と言われている。でも、それって要するに、ビットが混じり合ったもの、ということだ。」
残念ですね。メディアラボの作品が面白いから期待してたのですが、「インタラクティブ性」が抜け落ちました。
この定義が 間違いだ と分かる事例を、一つだけ 挙げておきます。SW1以降の「スターウォーズ」では、背景、登場人物の全てが CGで描かれた映像、ということが良くあります。( ヨーダまでが CGです。)
CG映画は、デジタルですけれど、マルチメディアではありません。観客からのインタラクティブが無いからです。
ネグロポンテ教授のマルチメディア: ビデオ映像+音声+データ( 誤伝 )。 ビットが混じり合ったもの ( 95年 )
ついでに書いておくと、ここに書いたネグロポンテ教授の定義の誤りは、招へいされて講演した先が NTTだったこと、つまり、NTTのマルチメディア開発方針の間違いに引きずられて生じたものでもありました。もともと 「電話」は、インタラクティブなメディアでした。( 93年の講演で指摘しました。) 親御さんが、外国に留学中のお子さんに電話します。
「ああ、もしもし。雄ちゃんかい。元気?」
<利用者> 受話器( 受話口 ) ← あたかも目の前にいるかのような相手
↑
受話器( 送話口 ) ----------------
ところが、NTTの方たちは、通話を、
送話口の声の振動 → 通信ケーブル → 受話口の振動
だと考えて、
声を、「できるだけ早く、混信・ノイズ無く」 ケーブルの向こうに届けること、
という作業モデルで、遠隔通信の課題を解決しようとしたのです。 この通信ケーブルに、音と一緒に映像を乗せれば、テレビ電話が( 一応 )でき上がります。(「体験劇場」を作れば VRができる、という間違った考えと同じです。) でも、利用者にとっては、テレビ電話を使う目的は、自分が話したい相手と即時的に会話をすることでした。
<利用者> CRTモニター、スピーカー ← 目の前に いるかのような相手
↑
マイク ----------------
ついでに、『Aspen Movie Map』も、筆者の構成図の形式で書いておきましょう。
<利用者> 小画面のCRT ← そのCRTを通して見えるAspenの町
↑
タッチパネル( 行きたい方向の入力 ) --------
ですから、もし当時の NTTの技術者に 「インタラクティブ」について関心があれば、ネグロポンテ教授の講演に対しても、誰かが、「今後の インタラクティブの動向は、どうなりますか」と質問して、ネグロポンテ教授も「being only digital」では不十分だ、とそのとき気が付いていた可能性も、ありました。
NTTは、同様に 「光回線」の売り方についても、値下げ販売だけではなく、インタラクティブに操作される魅力的なコンテンツを揃える、という方向の競争ができたはずです。気づかないって怖いです。「インタラクティブ」への見落としが、せっかくの情報と通信の融合という巨大市場で、NTTの覇権を失わせることになるのかも知れません。
◎ NTTが 86年に「やってしまった」インタラクティブの無い定義
先に正解を書いておきますと、Sueann Ambronが1984年に Apple Ⅱ の優れた教育システム 『ミミ号の航海』の パンフレットに書いた文章が、( 不十分ながらも、)マルチメディアの定義の出発点として、とても妥当なものでした。
彼女の定義は、途中にいろいろあって、結局マイクロソフト社の Windowsの 「マルチメディア」アイコンとなります。
これは、次回のお楽しみに。
しかし、あと2つ、片づけておきましょう。 NTTの定義の間違いは、政府のマルチメディア政策を混乱させました。
先ほども書きましたが、もともとの 「Multimedia」という言葉は、60年代に西海岸の大学などで行なわれた ロック・コンサート( サイケデリック・イベント )のことだったと言われています。ロック演奏に、ライトショーやスライドショーを重ねたイベントで、ジョージ・コーツというパフォーマンス・アーティストは、「俺の始めた 『ハプニング』がマルチメディアの起源だ」と言っているそうです。「インタラクティブなプロセスで投影され、アニメーション化された環境に、パフォーマー、歌手、ダンサーらが自分自身を出現させること」だったと解説しているそうで、このときの 「Multimedia」という言葉が教育現場の視聴覚教育に転用されて、いわゆるマルチメディアになった、と考えている人も多いようです。
ちなみに、アル・ゴア元副大統領が、映画 『不都合な真実』(2006年) などで、舞台に大きなスクリーンを置き、自分の話に合わせて写真や動画を見せていましたが、ゴア氏は、それを「マルチメディア・システム」と呼んでいます。
とにかく、以上が 1960年代にさかのぼる 「Multimedia」のご先祖様探しでした。
WIREDという米国の雑誌が、以前、用語辞典を出したのですが、その中で、「Multimedia」については、Sueann Ambronが ( 60年代に使われていた意味から離れて )新しい意味を与えた( coined )と書いており、うまい言い方をするものだと感心しました。( newly coined wordで 「新造語」だそうです。) これは、次回に書きます。
だから、60年代のマルチメディアについては一旦忘れて貰って、1984年以降には、84年以降の新しいマルチメディアについて、その機能を議論する必要が あったのです。
ところが、NTTは、86年に発行された 『NTT技術陣による情報・先端メディア』という本に、こう書きました。
「(マルチメディア・システムとは ) 通常単一でも使用されうる種々のメディアを、さらに複数種使用して、効率的な情報伝達を行なうもの」だ。
( もしかするとですが、60年代の使用事例を教えてくれた米国人がいたのかも知れません。) ともあれ、これは、音声回線に映像を乗せるとマルチメディアのテレビ電話になります、ということと同じ定義です。これは、CCITTという国際通信連合の規格でも その方向で考えていたようですから、NTTばかりは責められません。
ただ、90年代に、通産省は 「マルチメディア」を生かした政策を出そうと意気込んで( なにせ350兆円ですから )、研究会や学識経験者の集まりを数多く行なったのですが、結論は出ず、ほとんどが 「中間とりまとめ」で解散しました。
その全部に NTTの技術者が、出席しています。
おそらく、通産省は、
・ ユーザの側にとって、どういうシステムが使いやすいのか、
・ ユーザの側から見て、どういうコンテンツが魅力的なのか、という方向で議論を期待していたと思います。
しかし、NTTにとっての コンテンツとは、
「利用者が持ち込むもの」
でした。しかも、通信の秘密がありますから、
このおじさんがいま電話で話している相手は、会社の同僚か、犯罪組織の黒幕なのか、
NTTには、原則として 「分かってはいけない」ことでもあるのです。
「ああ、もしもし。雄ちゃんかい。元気?」の場合も、コンテンツは利用者が用意しました。
<利用者> 受話器( 受話口 ) ← あたかも目の前にいるかのような息子
↑
受話器( 送話口 ) ----------------
私見ですが、NTTは、「ユーザー目線でシステムのパフォーマンスを評価できる」インタラクティブ技術の専門家を、今後数多く養成して、例えば、終戦後の家電製品業界で 雑誌「暮らしの手帖」が果たしたような役割を、マルチメディア市場、大画面VR市場で担えるよう、努力して行くことが望ましいのではないでしょうか。通信の高品質・高効率については、現場の技術者が必死で支えておられます。であれば、「そもそも、そのコミュニケーション手段は、なぜ必要か」「どんな思いが相手に届くのか」「今は何が欠けているのか」というインタラクティブな視点から、業界のため社会のために説明責任を果たす、という役割が今後は必要ではないでしょうか。これまでこうした役割は、NTTの弱点でもありました。しかしそれが克服できれば、8Kテレビが端末になる大画面VR市場で NTTは存在感を示すことが出来る、というのが筆者の考えなのですが。
60年代の Multimedia:( 観客にとってのインタラクティブ性は無いが、舞台進行者や照明機器の操作者が舞台の一部をインタラクティブに操作して演出できる )サイケ・イベント。映像、音、パフォーマンス。
NTTの86年のマルチメディア: 効率的な情報伝達のために複数種のメディアを組み合わせたシステム
バーチャルリアリティ奥儀皆伝(5)は、こちら。→ こちら
バーチャルリアリティ奥儀皆伝(7)に続きます。→ こちら
画像借用元 :
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Voyage_of_the_Mimi
https://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/archives/beat/seminar/009.html
https://markezine.jp/article/detail/4576
https://en.wikipedia.org/wiki/Being_Digital
2019.08.27 武田lemon六八六八