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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

嫌われ者ジョージィ、(2007年)それでも『個人史』Blog と言い張る

2007年01月09日 18時21分44秒 | Weblog
個人史記録用として Blog開始当初の予定 に反して、ついつい政治・社会ネタに走る困った現状である。

記事記録開始早々の途中で
1) 個人史カテゴリ( Weblog
2) 政治・社会カテゴリ( 格差社会と政治 に分けたものの、個人史の過去記事が探しにくい。 それで記事探索の為の
3) インデックスカテゴリ( 投稿インデックス まで作ったのだが 相変わらず判りにくいどころか、各カテゴリの投稿数をみると挫折しそうになる。

個人史記事数 139 に対して、政治・社会記事数は 230 となっているではないか。(2007年1月9日本記事投稿前時点)
数は重要ではないが、政治ネタに埋もれた 過去の個人史記事 が探しにくい。 (いったい あの記事 はどこなんや~!) 結局 検索エンジンに頼る始末だ。

ことしも 政府・与党の妨害工作(だましの政治) にも負けず、コツコツと 個人史記事 を記録してゆくのである。

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07/26 Blog ことはじめ

<ポスト安倍?> 再演予告か?「小泉再登板論」

2007年01月09日 15時55分04秒 | 格差社会と政治
じわり「小泉再登板論」 (産経新聞) 1月8日8時0分配信
【記事抜粋】 ■厳しい政権環境/首相と距離?/根強い人気
 昨年9月の退陣後、沈黙を続ける小泉純一郎前首相の動向が再び注目を集め始めている。安倍内閣の支持率が急落する中、小泉人気は依然高く、本人は強く否定するものの自民党内には再登板を望む声すら出つつある。
[記事全文]

最近の自民党の動きを見ると、武部元幹事長 や山崎前副総理の動きなどは 小泉時代の亡霊力をチラつかせている。 だが現実のユーレイ同様 「出るゾ!」「出るゾ!」と期待をかけておきながら 肩すかし を食らわされるのがオチだ。

そもそも現安倍政権が苦しんでいるのは、小泉時代の「タウンミーティング問題」 や 「郵政造反復党問題」 などの 官民一体で行って来た 不正の後始末 による 負の連鎖 の理由である。安倍総理が 小泉氏と 距離を置いても無理はない。

だが、米国ブッシュと朋友小泉 の迷コンビで 再び世界を 湧かせて(わかせて) くれるのも 正月らしくて良い。 ・・ 責任者出て来~い! ・・

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12/30 <安倍首相> 参院選対策 と「郵政落選組復党」と..
12/22 <自民党新派閥>目的は 武部前幹事長の息子のためか?
12/01 <復党問題>新人議員の会、設立2日で幕 (重大な負の連鎖)

<防衛省発足> 『美しい国』 への航海 (後悔?)

2007年01月09日 13時46分18秒 | 格差社会と政治
防衛省が発足、安倍首相が訓示=「新たな国造り」の第一歩 (時事通信) 1月9日11時1分配信
【見出し記事】 昨年12月に成立した防衛庁の省昇格関連法の施行に伴い防衛省が9日、発足した。安倍晋三首相は同省内で行われた記念式典で訓示し「国防と国際社会の平和に取り組むわが国の姿勢を明確にできた。戦後レジーム(体制)から脱却し、新たな国造りを行うための第一歩となる」と述べ、省昇格の意義を強調した。 (時事通信)
[記事全文]

防衛省発足に際して安倍首相の云う 『美しい国』 とは、いまだに明らかにされない。 だが、憶測は無意味である。 憶測しても考える者自身の 経験と知識 からしか思い浮かばない。

そもそも 誰にとって『美しい国』 なのかも判らない 曖昧(あいまい)な表現は (偽の)リーダーにとっては 民を惑わす 重要な手法だからだ。 少なくとも 政治屋とその親族や取り巻き達にとって甘美な国『美しい国』 なのだと理解していれば 後々後悔することもないだろう。

<国民の新たな心構え>
さて、防衛庁から 防衛省となった今後、自衛隊(防衛省隊員)は 『 国民 を護る』 という大儀から、『 国家 を護る』 という大儀に変わる。 政治屋の云う あらゆる偽りであっても 「国を護る為」 という理由だけで 武力を行使できるのだ。
そして 危険な戦場へ派遣 されるのは、私やあなた自身かも知れない。

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01/09 <防衛省発足の日> いつまでたっても 『大本営発表』
01/04 神風日本の戦争神話(1) - <防衛省>省昇格と..
12/06 <再び海外を模倣>危険な日本版NSCか(住基ネットもそのため?)

<防衛省発足の日> いつまでたっても 『大本営発表』

2007年01月09日 01時21分32秒 | 格差社会と政治
2007年、日本全国で 新成人を祝った日の翌日、日本の防衛庁は 防衛省 へと変わる。 日本の歴史に自分の名を残したいと望んだ 政府・官僚ら の願望が実現する日だ。

そして旧態の亡霊に誘われた者たちが、何も知らされていない若い年代へとバラまいた 神風日本の戦争神話 は、抑制の利かない侵攻へと発展することだろう。
だが、心配には及ばない。日本政府自らの意志で行うのではない。 だから相手を傷つけるのは最小限に留められるだろう。

政府・与党が (大本営発表のごとく) 声高に叫ぶように 「国際貢献」 の言葉に酔いしれ、自らを傷つける事を喜ぶ国民であることを世界が認めるようになるのがその結果なのだから..。

政府・与党はその口を閉ざしたまま密かに進めている。
もはや国民は考えるべきだ。もし日本が(国際貢献の名の下に)戦争に参加したとき、誰が前線で戦うのか? と..。

防衛省隊員がいるではないか!? と考えるのは誤りだ。
前線で戦い殺し合うのは かつての戦時中同様に 犯罪者や政府ににらまれた人間達である。人間を人間として考えずに戦地(前線)で戦わせたからこそ 日本は勝ち続けた。

現代でも、戦地で戦う兵士は (格差社会を作ったことで)日本にはたくさんいる。いまでは (不正な構造改革の故に現れた) ホームレスやニートもその対象だ。さらには生活保護者等も...。医療費を使う貧乏人(負け組)も...。等々...。

これらの人間を一括管理するためにも 『住基ネット』 を何としても維持しなければ 個人資産を含めた 総括管理 ができないのだ。