最近ある方を通して父の親友石井氏のご子息が
名古屋におられることを知りました
そのうちお会いできるかもしれないと言うことになり、
先日来古い写真を探している。
2人は共に従軍記者として中国大陸を軍に従いて取材した。
前列左端が父、右端立っているのが石井氏。他はカメラマンや他社の人?
父は就職のため名古屋新聞へ入ったと聞かされていた。
母と1歳の私(東京生まれ)3人は名古屋へ来ました。
と言うことは私が生まれても職はなかった?
当時は昭和大恐慌、日本経済は危機的な状況にあり、
「大学は出たけれど」と歌われたり、映画にもなったらしい。
友人で名古屋新聞社長だった与良ヱ氏(よらあいち)の縁で
心ならずも?新聞記者になり生涯を通した。
法曹界を望んでいたと成人してから聞きました。
上海は単身赴任でしが、次の南京は私たち家族同伴でした。
新米記者の父は名古屋熱田署勤務(社会部配属)。
住居は新聞社が用意してくれていましたが、
前住者が首つり自殺して空家になっていた曰くつきの家、
母には知らせず、南京支局転任まで何年間か住まいました。
後年それを知った母は怒ることもせず、笑っていました。
↓ 南京の小学校へ数年通いました。
大戦勃発の直前帰国、父の先見の明のおかげと思います。
4人家族が5人になっていました。南京で弟が生まれました。
出迎えの祖母と名古屋駅で。
父のことはブログで何回も書きましたが、
戦争もあって数々の逸話が残っています。
折につけ妹と話し合っています。
私に文才あれば残せるのにと残念です。