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93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

父のこと

2018-04-15 15:53:25 | 想い出

最近ある方を通して父の親友石井氏のご子息が

名古屋におられることを知りました

そのうちお会いできるかもしれないと言うことになり、

先日来古い写真を探している。

2人は共に従軍記者として中国大陸を軍に従いて取材した。

前列左端が父、右端立っているのが石井氏。他はカメラマンや他社の人?

父は就職のため名古屋新聞へ入ったと聞かされていた。

母と1歳の私(東京生まれ)3人は名古屋へ来ました。

と言うことは私が生まれても職はなかった?

当時は昭和大恐慌、日本経済は危機的な状況にあり、

「大学は出たけれど」と歌われたり、映画にもなったらしい。

友人で名古屋新聞社長だった与良ヱ氏(よらあいち)の縁で

心ならずも?新聞記者になり生涯を通した。

法曹界を望んでいたと成人してから聞きました。

上海は単身赴任でしが、次の南京は私たち家族同伴でした。

   

新米記者の父は名古屋熱田署勤務(社会部配属)。

住居は新聞社が用意してくれていましたが、

前住者が首つり自殺して空家になっていた曰くつきの家、

母には知らせず、南京支局転任まで何年間か住まいました。

後年それを知った母は怒ることもせず、笑っていました。

↓ 南京の小学校へ数年通いました。

   

大戦勃発の直前帰国、父の先見の明のおかげと思います。

4人家族が5人になっていました。南京で弟が生まれました。

出迎えの祖母と名古屋駅で。

父のことはブログで何回も書きましたが、

戦争もあって数々の逸話が残っています。

折につけ妹と話し合っています。

私に文才あれば残せるのにと残念です。

コメント (14)
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