goo blog サービス終了のお知らせ 

93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

88人の「最後の言葉」

2016-03-12 15:04:33 | 日々の暮らしから


この号の文春には関心あるものが多かった。
中でも、江藤淳氏、白洲次郎氏、吉村昭氏の言葉に深い感銘を受けた。
いつもなら芥川賞受賞作品を真っ先に読むのだが、今度ばかりは違った。

「最後の言葉」ともなれば、どなたのも重いものがある。
江藤 淳氏は 『自ら処決して形骸を断ずる』
亡夫が尊敬していた評論家で、時々話していたので自殺を聞いた時ショックだった。
 その数か月前に夫も亡くなったばかりだったので二重のショックだった。
 氏は自らの病気、前年愛妻を亡くされたことなどが、自殺の原因と世間では言われている。

白洲次郎さんは、葬式がきらいで遺言により行わなかった。 
 言葉『葬式無用戒名不用』 葬式をやったら化けて出るぞの冗談も。

それにつけても思い出されるのは夫の葬式のこと、
夫のは「最後も言葉」ではないが、遺言の一種で常日頃から「命令」されていた。
お葬式は所属の教会で行う。賛美歌な何番と何番、牧師さんの説教、自らの来歴、信条は・・・
香典、供花不要、もしお花は持ってこられたら、
全て名札を取り外して飾ること。なので香典は一切頂かなかった。
お花はかなりの数頂いたので、秘書課の方が記録してその場で取り外し
(お花屋さんが協力?)写真のような次第となった。
会社としては名札を取り外す行為は相手方のご厚意に対して申し訳ないと思ったであろう。

歴史はあるが街中の小さい教会なので道路まではみ出たお花は
「道路占有届?」みたいなものを秘書課が警察に届けてくれたようだ。
キリスト教は戒名はないので、白洲次郎さんのような心配はいらなかった。

文春の特集88人の「最後の言葉」を読んで 図らずも17年前の諸々が思い出されてきた次第。
死んで後まで、自分を貫いて人騒がせではあった。



コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする