甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

胡蝶の夢

2020年10月17日 14時17分08秒 | 芭蕉さんの旅・おくのほそ道ほか

 メモがあったので、芭蕉さんの俳句を取り上げてみます。もうどこかに載せたんだろうか? わかんないですね。

16 門松やおもへば一夜三十年

 立ち並ぶ門松を見ていると、昨日までの喧騒がうそのようで、まさに大晦日の一夜は三十年にも匹敵するかと思われる。

 門松が家ごとに並んでいる。そういう風景があったんですね。そして、自らの人生を振り返っているそうです。短いようで、三十年といえば、それは長い年月です。新年が来るたびに、人生を振り返るんです。私だったら「思えば一夜六十年」とか言わなきゃいけない。

 門松……一夜 菅原道真の没後、京都北野の右近の馬場に一夜で千本の松が生えたという「一夜松」の故事(太平記)を踏まえている。家々の門松から「一夜松」の故事を想起し、自分の年齢(三十四歳)も踏まえて「一夜三十年」としているそうです。



24 叡慮(えいりょ)にて賑(にぎわ)ふ民(たみ)の庭竈(にわかまど)

 天皇の思し召しにより、民の暮らしもにぎわい、家々では庭竈を囲む団らんが行われている。

 こんなわざとらしい俳句、芭蕉さんも作ったんですね。いや、これは洒落かな? いや、こういうのが、挨拶の句なんでしょうね。堺にでも仕事で来たのかな?

 仁徳天皇さまが作られた歌「高き屋に登りて見れば煙立つ民の竈(かまど)はにぎはひにけり」(新古今集)の「竈」を「庭竈」にしたのが工夫なんだとか……。



27 かなしまむや墨子(ぼくし)芹焼(せりやき)を見ても猶(なほ)

 白糸が黄や黒に染まるのを悲しんだ墨子さんは、焼かれた芹が香ばしく色変わりするのを見てもやはり悲しむだろうか。いや、喜んで食べるに違いないでしょう。

 芹焼とは、焼けた石の上で芹などを蒸し焼きにした料理。鶏肉や芹などを鍋で焼くものもいうそうです。「墨子悲糸」(蒙求)の故事を踏まえ、思想的な話題を食の次元に移して笑いを誘う作品だとか……。

 悲しまないよ。些細なことで心を痛めた墨子さんでも、セリ焼きされた料理なら、喜んで食べたでしょう、という内容かな。そんなセリ焼きというおいしい調理法があるんですか。今までそんなの食べたことないなあ。



119 君やてふ我や荘子(そうじ)が夢心

 君が蝶なのか、私が蝶の夢を見た荘子なのか。『荘子』を語り合う二人は心も一つとなり、まさに夢心地である。

 というか、有名な「胡蝶の夢」を俳句にまとめたというのがミソで、深みというか、味わいはそんなに感じないです。

 俳句の世界というのか、俳句をひねってみようという人は、中国の文学世界の教養もなければいけないという、教科書的な作品ですね。

 でも、ちょうちょを見ながら、私はどこに存在しているのか、私は私なのか、それとも目の前の蝶、ハエ、カ、ゴキブリ、そんな小さな命も実は私ではないのか、すべてに命があり、全てが私であり、私ではない。私とは何か、そう疑問を持つことが私の始まりであり、私は何者かを考えなくなったら、ただの生き物になってしまいます。

 私とは何か、二千数百年も前にそうした問いを発した哲学者がいたんですね。孔子さんは、そんな哲学的なことを考えてなくて、いかに生きるべきかを考えたんですから、荘子さんたちとは方向性が違ってたんだ。





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