甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

干刈あがたさんの「時計」(1988)

2020年10月16日 21時31分54秒 | 干刈あがたさんを追いかけて

 久しぶりに、あがたさんのことを書いておこうと思いました。もうずっと前から書こうと思って、本文も打ち込んでたんですけど、いつもの通りに挫折していました。

 本当に何ごとも挫折ばかりで、まともに行けたことはないですけど、転んで再び立ち上がるという形で、ボチボチやっていきます。

 「時計」のお話は、集英社の「十一歳の自転車」という短編集に入っています。単行本が1988年で、文庫が1991年に出ています。

 日置ゆり子さんという、女優でテレビタレントとしての活躍している女の人のお話です。

 彼女は、午後二時くらいまでは今にもなくなりそうなお父さんの病室にいたそうです。二時間ごとに、インタビュアーとか、レポーター、対談、グラビアなどいろんな仕事を切り替えつつやっているので、お父さんが今にも危ないというところで、テレビ局のスタジオに向かわねばなりませんでした。



 番組名は『ウソ・マコト探偵社』という番組で、大阪の「探偵ナイトスクープ」みたいな感じで、メインキャスターとアシスタント、これがゆり子さんで、他にはいろいろと癖のある探偵さんがいて、あちらこちらに取材に行くというスタイルでした。

 メインは、マコトという芸人さんだそうで、彼のアドリブによってスタジオのお客さんたちや探偵たちのみんなが踊らされていくという形のようでした。

 ゆり子さんは、お父さんのことが気にかかっているけれど、とにかく二時間くらいの収録に耐えねばなりませんでした。

 「なんですか、日置さん、その髪型は」とマコトが、ゆり子の頭のてっぺんでまとめてススキの穂のようにした髪を見て言った。「農家の軒先によく、トウモロコシやニンニクをそうやって干してありますね」

 司会のマコトから突然に突っ込まれているようです。あがたさん、いろいろとテレビ番組とかも研究したんでしょうか。いつもなら素早く対応できるのに、ついさっきまで病室にいたゆり子さんは切り換えられていませんでした。返しができないようでした。

 「どうしたんでしょうねえ。ちょっと変ですね。お父さんが危篤なんでしょうか」
 一瞬、歯車をいっしょうけんめい合わせようとしていたのが、カタッとはずれたような気がした。ゆり子は思わず笑って、「人の親を簡単に殺さないで下さいよ」と言った。

 すごい、ゆり子さんです。とっさの判断でうまく切り返せました。ここから少しずつ平常心を取り戻していきます。



 「今ね、急に変なこと考えちゃったの」とゆり子は本当のことを言った。「時間のこと考えてたんです。同じ一分でも、ここの一分と、ほかの場所の一分は違うんじゃないかなあなんて」
 「何なんでしょうねえ、この人は」とマコトが言った。「空白の時間に入っちゃったんでしょうか」

 こうして番組は進んでいきます。収録が終了して、お父さんが亡くなったという知らせも受け、ゆり子さんはスタッフのみんなに謝罪し、マコトさんからは、「危篤なんて言ってしまってゴメンナサイ」なんて言われます。

 「ううん、違うのよ」と、ゆり子は笑った。「人間って本当に不思議ねえ。それを聞いてかえって、すーっと気持ちが落ち着いたんだから。でも、知らなくて言ったんだったら、やっぱりマコトさんて凄い人」



 さて、みんなと別れて帰りのクルマ、みんなからごはん食べてないだろうから、弁当を食べなさいと持たされて帰る最後の場面、

 膝の上で折詰弁当をひらき、箸でご飯を一口すくって口に入れようとした時、急に唇が震えた。唇が自分の思うようにならず痙攣(けいれん)している。眼から突然、大粒の涙がポタポタと弁当の上に落ちた。人間の眼からこんなに大量の水が出るのかと茫然としながら、ゆり子は自分の眼から弁当の上に落ちる涙の音を聞いていた。父と過ごした時間が、つぎからつぎへと思い出された。

 という形でお話は終わります。それで、昨日、寝る時、小説の中のゆり子さんからもらい泣きして、シンミリして寝ましたっけ。

 最近は、自分の悲しいことでは泣かないのだけれど、人の悲しいのには耐えられなくて、単純に泣いてしまいます。少しずつ空気みたいな自分になれそうで、それはいいんだけど、あがたさん、やるなあと改めて感心しました。

 いつもそうなんだけど、気づくのが遅いんですよね。アカンなあ。

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