2012年の秋だったか、家族で天満橋にいるという大きなアヒルさんを見に行きました。怪獣みたいではなかったけれど、大きな遊覧船くらいのスケールではありました。そんなに機動力はなくて、そこにじっとしてまわりの様子を眺めている感じでした。
勝手に見る者たちが、「楽しそうだ」「こっち見ている」「元気そうだな」と、自分の思いをアヒルさんに投げて、そのはね返りを受け止めていたのでしょうか。
お能と同じで、少し下を向けばかなしみ、少しだけ上を向けばよろこび、顔そのものは無表情だから、見上げる角度でいろいろに見えるようでした。
私たちは、家族で出かけ(父と母、私と奥さん)、アヒルさんを見た。他にも見たいものはあったけれど、何を見たんだったか。
途中で奥さんは家に帰り、父と母と私は、弟にもらった阪神vs広島を甲子園まで見に行きましたっけ。父は目の手術をしたばかりで、太陽光線は避けた方がいいはずだったけれど、母はせっかく弟が手に入れた野球の試合のキップを無駄にするのは良くないと、父も強引に連れて行くことにしたんでした。
まあ、うちのお父さんは、母の言うことなら,多少の無理をしてでもかなえてあげよう、自分はしんどくなるかもしれないけど、我慢できるのであれば、我慢しようとしたようでした。
いつから父はそんなキャラになったんだか……。お仕事している時は、真面目にお仕事して、お遊びでパチンコをはしごしたりするのが唯一の趣味で、それはもう近所ではパチンコ王だったでしょう。儲かったんだろうか。トントンだったのかどうか? たまにチョコレートをもらってきてくれると、私と弟は喜んで食べましたね。
父のわがまま・気ままは、パチンコと植え木・草花と勉強(いろいろとノートにメモすること)だったでしょうか。お仕事を引退してから、母とあちらこちら団体旅行に出かけるようになって、母にいろんな場面で合わせるようになって、母のご機嫌をとることが自分の務めである、みたいな感じになっていったかなあ。
引退後の父は、母が止めても、毎朝自転車でゲートボールの練習場に向かうのが仕事の一つになりました。お昼前には帰ってきたけれど、それはまるで母とは違う時間を過ごすための息抜きみたいな、そんな時間にもなってたかな。
朝からお酒をいただく時もあったそうで、飲酒運転みたいな形になってた時もあったのかなあ? いや、お酒を女の人から勧められたに違いないというのは母の証言だったので、実際は飲んでなかったのかもしれない。一つのことを大きく取り上げて、全てそうであったと言い募るのは私たちの悪い癖じゃないですか。ほんの一瞬のことが、ずっとそうであったと言われてしまう。
私は何だか、何でもできそうな気分になっています。お金はないけど、世界一周だってやろうと思えばできる。宇宙旅行はお金をくれたとしても、あまり行きたくない。何時間も座席に固定させられるなんて、考えただけでゾッとします。
世界で起きている戦争は、私の力では止められない。でも、ずっと早く止むようにとは祈っている。でも、祈る力が頼りないのか、止められていない。
若返りたい。もっと痩せたい。頭をフサフサにしたい。筋肉モリモリになりたい。身軽にホイホイ動き回りたい。いろいろとやりたいイメージはあります。でも、時間が逆戻りできないのと同じで、すべての願望は放棄させられている。現状維持はできるかもしれないけど、グータラな性格だから、すべてはジリ貧です。
「何でもできる」と口では言うけど、現実は大抵のことができない、ということになっている。それはまあ、了承している。でも、イメージの中では何だか出来そうで、楽しいイメージが湧き出てきたりする。そうだ、イメージを食べてたらいいんだ。それで満腹になればいい!
そうかもしれないけど、せめて何か一つ確かなものを手に入れたいと、メダカたちにエサをやり、メダカの赤ちゃんは大人から隔離し、ドクダミをきれい洗って干したりする。それはリアルなものの一つかな?
そんなに確かなものはないのだよ。だから、動き回り、何にも手に入れられないけど、何か触れられたと思えたら、それでいいのかもしれないな。それは実はすばらしいことなのだと思うのです。