
中学のころ、ぼんやりと詩人とか、理想の仕事だな、どんなことするのかはわからないけど……、
そんなつまらないことを考えていたのかもしれない。大した努力もしていませんし、ただのあこがれでした。とはいうものの、あこがれるには理由があったんだから、詩人としてお金持ちになりたかったのでしょうか。
たぶん、そういうことはないですね。いくら私でも、詩人で簡単に生活できるというのは、そりゃ甘いよ、と思ってたはずだから、詩人みたいな、誰にも寄りかからず、自分の力で自分のことばを発信していける、そういう生活にあこがれたということなんだろうか。
西脇順三郎さん、島崎藤村さん、室生犀星さん(好きな詩人のみなさんです)、みんなそんなにお金持ちではないでしょう。それに、小説家として生活していった人たちです。西脇さんは大学の先生。そういう生き方もありました。
大学の先生をめざしていた? そういうことは絶対ないですね。ただのあこがれです。
小説家は、ベストセラーで儲かるかもしれないけど、これまた甘い仕事ではないし、詩人という生き方が好きだった(のかもしれない)。
もうコテコテの詩人は、金子光晴さんでした。詩も書くし、エッチな発言もして週刊誌みたいなところに出ちゃうし、マルチの活動をしていた。少し難しいけど、生き方としてはあこがれでした。
うちの「旅の名詩」という本を取り出してみると、こんなのがありました。

洗面器
(僕は長年のあいだ、洗面器という器は、僕たちが顔や手を洗うのに湯、水を入れるものとばかり思っていた。
ところが、爪哇人〈ジャワじん〉たちは、それに羊〈カンピン〉や、魚〈イカン〉や、鶏や果実などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたへて、花咲く合歓木〈ねむぼく〉の木陰〈こかげ〉でお客を待っているし、
その同じ洗面器にまたがって広東〈カントン〉の女たちは、嫖客〈ひょうかく 女の人たちと遊びに来たお客〉の目の前で不浄〈ふじょう〉をきよめ、しゃぽりしゃぽりとさびしい音を立てて尿をする。)
洗面器のなかの
さびしい音よ。
くれてゆく岬〈タンジョン〉の
雨の碇泊〈とまり〉。
ゆれて、
傾いて、
疲れたこころに
いつまでもはなれぬひびきよ。
人の生のつづくかぎり
耳よ。おぬしは聴くべし。
洗面器のなかの
音のさびしさを。
(『女たちへのエレジー』(1949年)より)

この音とは、「しゃぼりしゃぼり」という音ですね。
たぶん、洗面器の中に放尿している女性たちがいたようです。
金子光晴さんは、東南アジアを旅したそうです。いつ頃なのかな。
1929(昭和4年)ころ、30代半ばで上海、香港、シンガポール、マレー半島、それからバリに出かけ、1932(昭和7年)にやっと帰国しています。3年間も東南アジアとパリをさまよったそうです。
アジアの女性と向き合った30代の光晴さん。奥さんも連れて、絵を売ったりして生活していたそうです。
バカにしているわけではありません。むしろ、心を研ぎ澄まして「聴くべし」とまで言っている。
それは、どうしてです?
確かに、あまりきれいな音ではないし、さわやかな気分になるわけでもありません。
でも、これが生きていくことなのだ。これが人生なのだ。生きていく上では避けては通れないものなのだ、というのを光晴さんが気づいて、世界にはいろんな女の人がいるけど、それぞれが自分の立てる音を持っていて、本人は気づいていないかもしれないけど、そこに男どもは人生を感じ取れるのだ!
という発見があったんでしょう。
女性からすると、何をバカらしいこと言っているの! アホらしい。
となると思うけど、光晴さんは気づいたんだと思う。
他のどんな音よりも、さびしいけれど、わびしいけれど、それが人生なんだと気づかせてくれるんだと思う。

何だか、わかったようなことを書いています。ちっとも人生なんかわかっていない私が、生意気なことを書いてもダメです。
とにかく、よくはわからないけど、なんとも言えない哀切な気分だったということ、なのかな……。
それにしても、どうしてこの詩を取り上げたの?
やはり、原点回帰かな。私も中学生帰りしているのかもしれない。逆立ちしたって中学生にもどれないし、別にもどりたいわけじゃないんですけど。
★ 今日、洗面器におしっこしたのではなくて、違うことをしていたのではないの、と指摘されました。
そうだったのか。私はてっきりオシッコだと思ってました。でも、わざわざ洗面器に溜めなくても、そのまま地面にしてしまえばいいんだもんな。確かにそうでした。それを金子光晴さんは聞いていたのかな。そう考えると、少し怖い女と男のワンシーンのように見えます。金子さんの奥さんは近くにいなかったんだろうか。
(2018.12.22)