二見浦のすぐそばにある音無山というところには、昔はケーブルカー(ロープウェー?)もあって、山からの展望を楽しんだということです。今は、散策ルートがあるようですが、ここをめぐってたのしんだという話は聞きません。
昔は、観光地に来たら、思い切り定番のことをして、山から見えるリアス式海岸を楽しんだのでしょう。
それが今は、どうしてだれもこの音無山を無視してやりすごしてしまうのか? ケーブルカーもないし、わざわざ高いところに登っても、あまりメリットがないということなのでしょうか。
そういえば、伊勢志摩国立公園には3つの観光道路がありました。1つはごく最近? 無料になったパールロードという道で、鳥羽から志摩市の鵜方というところまで海岸沿いのわりと標高の高いところを走る道でした。志摩スペイン村という近鉄さんの遊園地が道沿いにあります。近鉄さんの経営なので、何となく今ひとつあか抜けない感じの、しんみりした遊園地で、できた時はものすごくプレミアム感があったのですが、もう今は飽きられています。やはり遊園地は次から次と新しい刺激を生み出さないとダメなんですね。つらいです。
もう1つ内宮のすぐそばから志摩市の磯部町へ山を越えていく道。これは伊勢道路と呼ばれるものですが、開通したときは有料道路だったということです。でも、今は普通に走れます。ただ、途中クルマを止めるところは一切ないので、ノンストップで内宮さんの神宮林の中を黙々と走らねばなりません。自然にクルマの列ができて、途中でシカやサルなどを見つけたり、森の中で作業をしている人を見つけたり、十キロくらいの人も家もない、手つかずの森の中に入らせてもらっている感じです。以前にも書きました。
あと1つ唯一の有料道路は、これも内宮さんを過ぎたところから朝熊山に登っていく伊勢志摩スカイライン。ここも三十年以上も前からある道路ですが、たぶんお客さんは減っているでしょう。みんなおかげ横丁を観光したら、帰って行くんだと思います。高いところからの展望って、昔ほどありがたみがないのですね。
それよりも今は、とにかく夫婦岩であり、内宮さんであり、おかげ横丁なんでしよう。パッと見たら、あとはサッサとお帰りのようです。もっと古くさい二見の町のふるびた感じを味わってもらえたらいいんですけど……。
……好きな画家さんの司馬江漢さんは、こんな夫婦岩を描いておられます。形がデフォルメされてます。
……山口誓子さんの俳句「初富士の鳥居ともなる夫婦岩」 土地へのあいさつの句ですね。
……西行さんの歌碑。「浪こすと二見の波の見えつるは梢にかかる霞なりけり」 波が松の梢までしぶきがあがっているように見えました。でもこれは霞だったのですね。
西行さんとしてはいい作品なのかなあ。
……そして芭蕉さんの句碑「うたがふな潮(うしお)の花も浦の春」 二見が浦の新春を白い波の花がことほぐ尊さを、うたがってはならない。と、角川文庫では解釈しています。「うたがふな」と、強いことばで言い切ったところが芭蕉さんのえらいところですね。
★ あれから1年、伊勢志摩地方はサミットでもちきりです。なんといっても知事さんが乗り気なので、鳥羽市や志摩市は大変でしょう。あと半年以上ありますが、その後、どうなるかですね。何か地元のためにいいものが残ればいいけれど、予算はたくさん使ったけれど、結局地元は何の恩恵も受けなかった、ということだけは避けて欲しいです。
これは庶民の願いですが、たいてい庶民の願いは、トップの意向で無視されるものなので、私は半分あきらめています。せいぜい世界の伊勢志摩を発信してもらいましょう。なにしろ、伊勢神宮は外国の人がガックリする日本の観光地ナンバーワンなんですから、オバマさんも、メルケルさんも、オーランドさんも、そんな変なところにはお参りしないでしょう。行っても何にもないのですから。
日本って、へんてこな約束を守る、へんな習俗を持っている国だなあと、あまりの非合理性にビックリするかもしれません。ビックリはするけど、心動かされるものではないでしょうね。来る前に、日本の鎮守の森をいくつか参拝しないと、そのありがたさがわからないでしょう。熊野古道を歩いてもらったら、伊勢詣りのありがたさがわかるかもしれないけど、そんなの無理ですもんね。(2015.10.23)