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セリヨサって、沖永良部島の古称というか別名なんだそうです。初めて聞きました。どうして干刈あがたさんは自らの小説で、母の故郷の沖永良部島と言わずに「セリヨサ島」を使っていたんでしょうか。
ひょっとして、お母さんから教わったものだったのか、ふるさとの方たちのおしゃべりからあがたさんが身につけていった感覚だったのか。そういう耳学問を大事にする方だったから、あがたさんは沖永良部の歌の採集活動だってされたんでしたね。そこに何かがあると思っておられたんでしょう。
そういえば、高校生のころ、私もそういう研究をしてもいいか、なんていう夢みたいなことも考えました。いつもバブリーで思いつきで行動するから、しっかりしたものにはならなかったんですけど、自分の進路なのに、そのとっかかりはアホでしたね。結局、そういう専門家にはなれなかったんです。さて、その後の私は何の研究をしてきたんだろうなあ。ひとりでできるあれこれに手を出しては見たけれど、これというものがないですね。まあ、今から何かできること考えたらいいのかな。
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小説の中で、セリヨサ島を訪れたユリは、親戚の茜から聞かせてもらった地元の歌の内容を質問します。
「ねえ茜さん、このあいだの船迎の時にお婆さんが唄っていた唄、どんな意味なの」
とユリは聞いた。茜は紙と鉛筆を持ってくると、その言葉を書いて説明した。
子守(クワム)いしゆぬ哀(アワ)り
夜(イル) 昼(ヒル)む 物思(ムヌミ)
物思(ムヌミ)忘(ワシ)りらば
茶祝(チヤユエ)しゃぶら
「子供を育てることの哀しさよ。夜も昼も心配ばかり。心配しないですむほど子供が大きくなったら、お茶でも飲んで祝いましょう」
「いい唄ね。もっと教えて」
茜はいくつか書いて言った。……「入り江の宴」
メロディがなくて、詩だけなんですけど、唄が聞こえてくるような気がしました。
私の感覚なんですけど、薩摩・琉球のことばって、昔のものがヒョイと出てきたり、今のものは取り込んでから自分たちのリズムで抑揚がついて、別の雰囲気になってたりします。
ものおもいが「モノオミィ」それが変化して「ムヌミ」になってたり、「子守り」が「コヲモリ」から「クワム」になるんですから、簡略の美というのか、象徴的というのか、違う世界が広がります。
よそ者は、音でしか雰囲気を味わうしかないけれど、親しむうちに細やかな意味も沁みてくるなんて、唄って、不思議な世界です。
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★ 土曜の朝です。のんびり起きて、ダラダラ朝を迎えています。でも、せっかく晴れてきたから、せいぜいできることをしてみます。オカンは大阪で小さくなっているだろうから、夏ミカンでも送ってあげたいです。私はもう大好きなんですけど、オカンも好きなんですけど、どうかな?