甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

橋を渡り、誰かに会ってまた渡る

2023年06月27日 05時36分05秒 | 海と水辺と船と

 これは熊野川ですけど、先日は揖斐川・長良川・木曽川と渡って、名古屋の駅に行きました。いつもなら、名古屋の駅から次はどこへ行くか、ということの段取りがあるんですが、この前は、ここで仲間たちと会い、お酒を飲んで、彼らは帰りの新幹線の時間があるから、しばらくしたら別れて、また川を渡って戻って来た。

 そういうことになりましたっけ。

 すでに仲間たちは、バンテリンドームに詰めかけた満員のお客さんたちになっているはずでした。私は、テレビでその光景を確認してから、駅まで送ってもらって、快速みえに乗りました(中日とヤクルトの試合をやってたようです)。

 近鉄特急よりも早い快速みえは、まあまあの乗り心地で、単線しか持たないJR東海が、とにもかくにも速さだけは確保しようと、優先的に運営している車両でした。時に4両になり、ある時は2両編成になったり、お客の様子を見ながらころころと変えてたりするけれど、大事に運用しているのは確かでした。

 基本的な通勤などは、近鉄に乗った方が安いだろうし、本数もあると思われますが、個人の移動であれば、なかなか頑張っている鉄道です。


 仲間たちと別れて、二日経った昨日、騒がしいビアホールではやれなかったメールをやっとつなげることができて、思い出に閉じこもりがちだった私は、昔の写真などを彼らに送ることができて、ひとまず、何かの役には立ったかなと思えた感じです。

 その一人は、いくつかある写真の中に昔の彼女を見つけて、「泣けてきそう」ということでしたが、もう一人の友人は「あいつ、泣いてるかも」などと教えてくれて、封印していたものが急に開かれてしまって、うれしいやら悲しいやら情けないやら、いろんな気持ちに振り回されたのかもしれないなと、私は勝手に想像してしまった。懐かしさだけでは語れない、彼の無念さを思いました。彼は本当に楽しい時間を彼女と過ごしていたのだと思いました。

 でも、彼女は実家の方へ帰ってしまった。彼女は、どんな気持ちで都会に住む彼を置き去りにしたんだろう。仕方ないさ、だったのか、そういうものよ、だったのか、今を生きよう、だったのか。

 どうして人は自らの気持ちを封印させなきゃいけないんでしょう。

 でも、そうならざるを得ない人もいますね。うちは、気持ちは垂れ流しで、何かにとらわれてしまうと、ずっとそのままの気持ちを引きずってしまいがち。もっとパッパッと切り替えられたらいいんだけど、つい割り切れないままでいることがあります。

 だから、人それぞれであって、封印するのも人には事情がある。でも、人と生きていると、昔に戻されたりすることもあるから、昔の仲間である私が現われたら、みんなも昔に戻らなきゃいけないし、当時の気持ちも手繰り寄せたりするんでしよう。


 川を渡る時は、たいていは鉄橋で渡りますね。

 船で渡る時って、あんまりなかった。実家では渡し船に乗ることはあるけれど、それも遊びで乗るだけで、生活のひとこまとして渡るのではなかった。


 人も生き物も、川を渡ったりします。人はなるべく濡れないで、サッと渡りたいと思っている。だから、鉄道で知らぬ間に渡って行くのが便利だと思っている。

 川は、私たちに恵みをもたらし、時には恐ろしい姿も見せてくれる。心配になってのぞきに行くおじいさんたちが今もたくさんいる。

 川を渡らないで生きること、それは自ら望めば可能かもしれない。でも、温帯モンスーン気候のこの国で、川は渡らなければ、自分の狭い世界に閉じこもってしまうことになります。だから、どんどん渡り、どんどん出会うしかないでしょう。私たちは人と出会うために生きていかなきゃいけないんだから。

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