
二か月ぶりになるけど、『徒然草』を抜き書きしてみます。
さしたることなくて人のがり行くは、よからぬことなり。用ありて行きたりとも、そのこと果てなば、とく帰るべし。久しくゐたる、いとむつかし。
これという用事もなくて人のもとへ行くのは、よくないことである。たとえ用事があって行ったとしても、その用事がすんだならば、早く帰るのがよい。いつまでも長居をするのは、本当に迷惑である。
いいこと言ってるなぁ、という気がする。でも、あまり人を訪ねるということもないし、私には関係ないかと思うけれど、いや、私だって、だれかと一緒にいるということがありますね。あまり会話をする努力をしないから、気まずい時間が無言のまま流れていくということもありますよ。そういう時、早くこの場から逃れたいなんて思ってしまう。ということは、兼好さんの教えの通りではあります。
となると、それはいいことなのか? いや、違う気がする。

人と向かひたれば、(a )多く、(b )もくたびれ、心もしづかならず、よろづのことさはりて(c )を移す。互ひのため益なし。いとはしげに言はんもわろし。
☆ 空欄a~cに、 ア・時 イ・身 ウ・ことば の三つの語を選んで入れてみてください。
人と向き合っていると、しゃべる(a )も多くなり、(b )もくたびれて、心も穏やかではなくなり、いろんなことに問題が起こってきて、どんどん
(c )を浪費してしまう。それはお互いにとってつまらないことである。だからといって面倒くさそうに話すのもよくない。
(c )を浪費してしまう。それはお互いにとってつまらないことである。だからといって面倒くさそうに話すのもよくない。
おしゃべり上手の人はいいです。でも、そんな人でも、むやみやたら言葉を使う人は、疲れてしまいます。聞いていて疲れる人というのが確実に存在している。できれば、そういう人とは一緒になりたくない。それはそうでした。
でも、コイツと一緒にいるのはイヤだという、またはそんな態度を取るというのは大人ではありません。だから、仕方なく無駄な時間だと思いつつ、一緒の時間が過ぎるのを待つという時だってあるのかな。
まあ、そういう時間はなるべく節約したいです。タバコを吸う人にそういう人が多い、というのは偏見かな。とにかく、無駄な時間は一秒でも過ごしたくない、というのは最近の私かな? いや、一人で無駄な時間は過ごしてますけど、一人で無駄と思いつつボンヤリしているのは、無駄ではない気がする。
★ 答えは、 a・ウ b・イ c・ア ですね。

心づきなきことあらんをりは、なかなかそのよしをも言ひてん。……中略……そのこととなきに人の来たりて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。〈170段〉
気が向かないようであれば、逆にそのことを正直に相手に話すのがよいのではないだろうか。……中略……これといった用事もないのにだれかが訪ねてきてくれて、のんびりと話をして帰ってゆくのは、たいへんよいことだ。
☆ 次のことばの意味はどうなるのかな?
d・さしたる( ) e・人のがり( ) f・むつかし( )
g・いとはしげ( ) h・心づきなき( )
g・いとはしげ( ) h・心づきなき( )
意味 ア・他人の家 イ・気にくわない ウ・これといった、格別の
エ・迷惑である オ・いやそうに、やる気なさそうに
エ・迷惑である オ・いやそうに、やる気なさそうに
「さしたることなくて行く」のと「そのこととなきに来」るとの違いはどうなっているんでしょう?
大した用事もないのに行くのは「よからぬこと」でした。何の気なしに来てくれた人というのは「いとよし」でした。
兼好さんの書いていることって、矛盾する、というふうに言われることがありました。でも、ここではハッキリ違うのかな。
「行く」と「来る」の立場のちがいだけでしょうか? 客として他家へ行くのは難しいものですが、何か用事だ、というのであれば、用事が済んだら帰るというのは当たり前で、大人としての常識です。長居は無用です。
でも、もしお互いがもう少し話をしたいなという関係であれば、ゆったり時間が許すまで話をするのは大人の楽しみです。それはステキなのです。
用事だけの事務的な関係だったら、すぐに帰る。心がつながっている関係であれば、限られた時間の中で関係性を確かめ合う、当たり前のことであって、矛盾ではなかった。それを対比させて書いておられるようです。オトナの楽しみ、できているかなあ。できてないなあ……。
★ 答え d・ウ e・ア f・エ g・オ h・イ でした。