甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

映画の日記から 「草原の輝き」1961

2019年12月14日 05時38分59秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 当時は何も知らなかったけれど、監督のエリア・カザンという人は、順調な人生ではなかったみたいで、あれこれと苦労しながら映画作りをしてきたんだそうです。

 とりあえず、1982年の私に聞いてみます。

 ウォーレン・ビーティって、初めて見ました。ナタリー・ウッドは見たことあります。

 お話としては、女の子とちゃんと付き合っているのに、他にも好きな子ができて、前の彼女と会わなくなって、そのまま学校を卒業してしまいます(この設定からしてダメです。それはもう彼女から気持ちが遠ざかっている)。久しぶりに会うと、気まずいし、あまり相手にしないので、前の彼女は精神的に疲れて、病院通いをするうちに、やさしい男の人に出会う。男の方は新しい彼女ができる。何年ぶりかで再会して、お互いがそれぞれ結婚したりしている、といったところなのだ。

 よくある男と女の話みたいですね。これがおもしろかったんだろうか。当時の私は78点を付けていますよ。ということは、おもしろかったみたいです。当時の彼女と離れ離れで、しかも自分はプータローで、毎日ブラブラしてたんだから、身につまされるところがあったんでしょう。

 1928年、恐慌前のアメリカ中部、カンザス州の田舎町、バッドとデイニーは仲良し高校生、バッドがこの夜のデートで彼女に迫ると、デイニーはダメよといって拒否。バッドは欲求不満で、デイニーをおうちへ返した。

 彼女との付き合い方で欲望と思いやりとの間でコントロールできない自分を追い詰めてしまったバッドは、バスケットの試合中に倒れて、どうやら肺炎みたいな感じである。父の強権、姉の結婚の失敗、ディニーへの強い愛などに耐えられなかったらしい。そして入院までしてしまう。それからはもう、ディニーとの親しい交際はなくなっちゃった。一緒に教会へ行ったり、ドライブして父の石油の油田などをながめて、「すべては二人のものだ」と言ったことなど、虚しくなってしまう。

 こうしてバッドは決めた。卒業後、父の言うとおりにエール大学にも行こう。そして、ディニーと結婚しよう。しかし、卒業までデートを重ねていると、つい彼女を欲しがる自分を抑えられないから、あと少し会わないことにするって!

 そんなことがあったんですね。知らなかった。どうして二人がうまくいかなくなるのかイマイチ不思議だったんだけど、彼が彼女に触れたくなる気持ちを封印するために会わないことにしたらしい。不自然なことがすごくいいアイデアだと思い込むこと、よくあるんですよね。男の子って、カタチから入らないとうまく自分がコントロールできないと思っているんです。

 本来であれば、もう少し欲望と配慮を行ったり来たりしながら、何度も会い、話し合って、適当な時期に結ばれるのが自然なんでしょう。でも、若い時は、やたらめったらだから、あふれる欲望を抱えながら、普通におしゃべりなんてできない。本当は自分はとんでもないスケベー心を隠し持っている、最低最悪の人間だ、彼女は好きだ、むちゃくちゃ彼女に触れたい。でも、彼女は許してくれない。だったら、彼女と一緒にいると、自分が自分でなくなってしまうから、しばらくは彼女に会わない。というのが男の子の選んだカタチでした。

 電話もしない! デートもしない! と決めたことをディニーには話さなかった。一方的に決めたもんだから、急によそよそしくなったバッドがわからない。自分から電話をかけるのは気持ちが許さないから、彼からの電話を待つ。こうして二か月ほどディニーは苦しんだ。バッドは他の女の子と軽い付き合いに興じていた。

 この二人は、自分から事態を解決する能力がなかったのです。

 卒業パーティの夜、ディニーはバッドに明るくふるまって見せた。でも、二人きりになるとたまらず、ディニーは「わたしを抱いて(と書くと、ありきたりです。英語では違う言葉なんだろうな)」なんて言ってしまう。若いバッドは彼女に対しては厳しいから、「君のプライドはどうするの? 君はそんな女じゃないよ」と言い、慰めることもせず、やさしくしてあげない。

 八方ふさがりになった彼女は投身自殺を図り、それは未遂に終わるけど、ノイローゼで病院へ行く。バッドは父親の言う通りエール大学に行ったけど、酒・女・遊びですっかり荒廃した生活を送る。

 そうしたハチャメチャになっている時、料理屋の娘さんといい仲になる。



 何だか、改めて映画日記を読んでいると、愚かな人間たちが、出会ったり別れたり、好きなのにお互いを拒否したり、不自然なことを繰り返しているもんだなと思います。それは今だってそんなに変わらないのかな。自然になれよ! と、オッサンの私は言えるし、私の自然は、ただ早起きして家族に迷惑をかけ、ひとりでハソコンして遊んで、夜はお酒飲んで倒れる、そういうつまらないのが自然ですからね。若い人とは違うんだもんな……。

 ディニーは病院で医者のジョニーという人と知り合い、退院する時にはもうプロポーズされてしまう。

 バッドは彼女よりも早く町に戻って来ていた。大学は落第。父は大恐慌の嵐に呑まれ、事業に失敗して自殺してしまった。バッドは、料理屋の娘さんと家庭を持ち、農園を始めることにした。

 二年半の療養生活を終え、自宅へ戻ったディニーは、早速バッドに会いたいと言う。娘のことを心配する母親はやめさせようとしたが、父は勧めた。そして、農園へ行く。バッドに再会した。彼には結婚して子どももいることを知る。

 もう元には戻れなくなっていた。帰りの車の中で、クラスメートに囲まれながら、彼女はワーズワースの詩を口ずさむ。高校時代に習った一小節。だいたいの意味は、草原の輝きというキラメキの時代を過ぎた後、ひとつ人はまた強くなっているだろう、というようなもんだったと思う。

 延々とあらすじ紹介をしています。離れ離れになった恋人たちというのをずっと書いています。当時の自分もそうだったから、同情するところがあったんでしょう。



 しかし、かわいそうな恋人たちだなと思っちゃった。バッドは妻をディニーに紹介するとき、苦しんでた時に救ってくれた女性なんだと言った。ディニーは今度結婚するジョニーに関して、「バッドの時とはちょっと感じが違うけれど、確かに愛してはいる」と担当のお医者さんには告げていた。

 ある時期愛し合っていた二人が、離れ離れになったそれぞれの場所で、その時には確かに重要な意味を持った新しい相手を見つけて、過去の恋人を切って、そちらに飛び込んでしまった。どういっていいのかわからないけれど、それぞれにとってどちらが大切なのか。……でも、最初の愛を続けようと努力すれば、そのまま続けていくことができたと思う。

 多少の食い違いに耐えられなかったら、つい人間は流れに呑まれるのが常なのだと思う。

 という結論に達しました。ここまでで4872文字ですか。たいしたことは書いてなかったですね。だから、内容は忘れてしまってもよかったんだ。ただ、ワーズワースのことばだけが残る仕掛けになってたんですね。

 もう私は、草原の輝きも見えなくなってきたかも……。

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