甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

宮沢賢治の描く「死と笑い」

2017年03月31日 06時22分26秒 | 賢治さんを探して
 盛岡で、賢治さんの話を聞いてきたんですね。それがちっとも形になっていなかった。1つのテーマが見つかりました。「よだかの星」とかでも、ちっともわからなかったのが、少しだけわかったような気がしたんです。みんなが気になっている賢治さんのテーマでした。

 よだかは最後に星になります。その前に垂直に飛んでいくので、もう一万メートルとか、大気圏を突き抜けていこうとする。そうしたら、いつか空気もなくなって、息ができなくなって、飛んでいるのか落ちているのかわからなくなり、やがて星になるという、この一足飛びが何だか不思議だなと思ったのです。よだかの星は今でも輝いています、ということだけど、どこにそんな星はあるの? よだかはどうなったの? わからないことばかりでお話は終わってしまいます。



★ よだかの星
 寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺん空を見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血の付いた大きなくちばしは、横に曲がってはいましたが、たしかに少し笑っておりました。


 たぶん、よだかは死ぬのだと思われますが、「死んだ」なんて書いてなかったと思います。そして、「笑って」いるのです。何なんだ、この笑いは! 

 フォーラムで、大学の先生は「これは△△だ」とは明言はされませんでしたが、何かのヒントがあると指摘してくださいました。私は確かに何かあると感じました。それが何であるというのはわからないのだけれど……。

 だから、東北本線の電車の中であちらこちら賢治さんの作品を見ながら、探してみました。



★ 虔十(けんじゅう)公園林
 「その虔十という人は少し足りないと私らは思っていたのです。いつでもはあはあと笑っている人でした。毎日ちょうどこの辺に立って私らの遊ぶのを見ていたのです。この杉もみんなその人が植えたのだそうです。ああ全くたれがかしこくかれが賢くないかはわかりません。ただどこまでも十力(じゅうりき)の作用は不思議です。」……アメリカの大学の教授になっている若い博士の発言


 博士は、小さい頃、杉の林の公園で遊んでいた。その公園を作った人は、みんなから疎外されている村の仲間はずれの人であった。けれども、その人の親は、子どもがしたいことをさせるため、木を植えたいというのであれば、それを許し、いつの間にか公園ができてしまった。今は亡き虔十さんはいつも笑っていた。



★ やまなし
「クラムボンはわらったよ。」
「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」
「クラムボンは跳ねてわらったよ。」
「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」……中略……

「クラムボンは死んだよ。」
「クラムボンは殺されたよ。」
「クラムボンは死んでしまったよ…………。」
「殺されたよ。」
「それならなぜ殺されたよ。」
「それならなぜ殺された。」兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いました。
「わからない。」……二匹の蟹の兄弟のおしゃべり


 川の中のカニの兄弟たちが、うたをうたっていました。その内容は、明るいような悲しいような内容です。笑っていたクラムボンはやがて死んでしまう。どうして? なぜ? クラムボンって何? わからないことばかりです。そもそもクラムボンの「笑い」って? 疑問は深まります。



★ 土神ときつね
 狐はその下の円い穴に入ろうとしてくるっと一つまわりました。それから首を低くしていきなり中へ飛び込もうとして後ろあしをちらっとあげたときもう土神はうしろからぱっと飛びかかっていました。と思うと狐はもう土神にからだをねじられて口をとがらして少し笑ったようになったままぐにゃりと土神の手の上に首を垂れていたのです。


 これは初めて読んだ作品で、死んでしまう場面の中で「笑ったようになったまま」とあります。やはりここでも笑うのだと思います。



★ なめとこ山の熊
 思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴え冴えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。


 これは有名な場面です。小十郎は今までたくさんの熊の死の場面に出くわしてきました。ここでは自分がクマの一撃に会い、死んでしまうのですが、悲しい場面なのに、「笑っている」ように見えたと書かれています。

 もっとたくさんあるのだと思われます。賢治さんの作品の中で、「死」はいつか必ず出てきますし、それは避けられない大きなテーマとなっています。そして、それは永遠の謎でもあります。

 あえてその謎である「死」を書く。そこに少しの「笑い」を含めて書く。死はものすごい真実であり、どうしようもない断絶があるのだけれど、そこからは物語は進まないのだけれど、でも、あえて書いて、そこに「笑い」を混じらせて書く。

 だいそれたことは言えないのですが、私はそこに賢治さんの死へのねぎらいというのか、救いというのか、親しみというのか、願い(死んでしまうけれど、その人は最後にどこか笑えるような)というのか、そういうたくさんの気持ちが入り交じって、死を描いた場面に「笑い」を付け加えたのではないかと思ったのです。

 他の作品も読まなくては! 挫折しまくりの「銀河鉄道」も再々チャレンジしてみます。





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