
三月の終わり、ソメイヨシノの出てくる前、津市美杉の淡墨桜を追いかけていました。
三月二十四日の「名松線復活三周年イベント」の時には、まだサクラは咲いていませんでした。今年のサクラは寒さに凍えることが少なかったせいか、なかなか咲き切らなかった。
いつも関東のサクラが一番になって、どうして何もかも最先端が関東なの? と西日本びいきの私は不平でしたが、東京は寒い時は寒いし、春に雪だって降るし、日本の中で特別な環境にあるようです。
まあ、一番早いからそれでいいというわけではないし、地域それぞれの気候で、それぞれの風物を楽しめばいいのだから、私は自分のまわりのものを味わってたらいい。別に不平を鳴らさなくてもいいわけです。
四月の初めころ、淡墨桜は満開になっていて、遠くからわざわざ撮影に来てくれる人たちもいっぱいいました。みんなに愛されている木になりました。自分のことのようにうれしいなあ。

それから二週間が過ぎて、このあたりのソメイヨシノは長く咲いていましたが、もうかなり散ってしまいました。それより早かった淡墨桜は葉桜になっていました。
むしろ、元気で、「さあ、花は終わったけれど、これから夏に向かって毎日を過ごさなくては!」という意気込みが感じられる雰囲気でした。
花だけが見たいお客は、誰もいませんけど、「花は盛りだけを見て満足していいのか、それがすべてと思っているのか」と兼好さんがいってましたが、確かに、世の中は、花がすべてなんだけど、現実問題として、そこで生きる人々というのは、花だけではなくて、木とともに生きていかなくてはならないし、木の生きている様子に励まされながら、こっちも頑張らなくてはと、生きてかなきゃいけないのでした。

いつもこの淡墨桜近辺で生活しているウグイスも、
「ああ、やっと花の季節が終わった。私はこの季節、ずっと歌い続けてきたけれど、これからは歌も大事だけど、私の生活も、見つけていかなくちゃなぁ」

と、いつもは隠れているのに、姿を見せてくれていました。
木もトリも、みんな生きようとしている。
でも、相変わらず私は、花にヤキモキしていて(どうして切り替えが悪いんでしょう、思い切りが悪いなあ)この一つの枝に赤と白が咲く花は、何と言うんだろう? 一つのことが気になると、小さなことに突っかかってばかりでした(目先のことにとらわれ過ぎなのです! まるで動物だ! いや、人間だからか?)。
そして、すぐにネットさんに頼ってしまい、訊ねてみますと、答えを見つけました。
これは、「花桃 といい、一つの枝で赤と白が混ざるのは、源平という咲き分けする花木」というのを知ることができました。
そうでしたか、源平ですか、古典的というのか、わざとらしいというのか、いや、「わざとらしい」と感じる私がまちがっていて、このみやびな感覚を素直に味わわないといけないのです。ひねくれ者の私には難しいけど、こういう種類があるようです。
とりあえず、鉄道オタクでもある私は、だったら、電車も入れて撮ろうと、

こんなふうにしてみました。でも、タイミングが悪くて、失敗しました。
ついでに、「赤い花白い花」で検索していたら、そういう歌があったというのも思い出しました。
わりと好きな感じの、フォークソングでした。作者は、群馬の女性で、大学のコーラス大会で披露して、少しずつ広まって、いろんな人たち(赤い鳥、紙ふうせん、芹洋子、ダカーポほか)が取り上げていて、スタンダードになっているようです。
作者の中林三恵さんは、銅版画家だそうで、今も活動されているみたいです。

こんな感じで、長谷川潔さんの世界です。トリなんかも描いておられて、出会いを感じました。ホームページだって作っておられるし、娘さんもアーチストとして活動されているみたいです。
土曜の朝から、ブログをして遊んでますけど、いくつかの出会いがありました。今後も、この出会いを広げられたらいいなあ。