
歌稿A 大正五年三月より
256 日はめぐり幡(はた)はかゞやき紫宸殿(ししんでん)たちばなの木ぞたわにみのれる
京都の御所に来たのかな。三月にたちばなの実が実っていたそうです。なかなかいいですね。
京都に先に来たのかな。

257 山しなのたけのこやぶのそらわらひうすれ日にしてさびしかりけり
これは「やっちゃった」という短歌ですよ。最後の「さびしかりけり」なんて、そんなことを言ったら、すべてが終わってしまいます。もうこれは短歌ではなくなってしまいそうです。
そもそも、せっかく京都に来たというのに、どうして山科にいるんです? 森林調査でもしたんですか? 薬科大学でも行ったんだろうか? 古墳調査ではないしな。醍醐寺でもないでしょうけど……。
「たけのこやぶ」みたいなところにいるみたいです。なぜ歌われているものがお天気なのか!
若い詩人かぶれの人がよくやるミスです。自分は文章が書けると過信して、文でお天気でも風景でも描くことができると思って、チャレンジして、結局何も描けていなかったりするのです。私も同じミスを何度もしましたし、今もしている気がする。
どうして踏み込んで人という存在を描けてないんです。ダメだなあ。人を見なくちゃ! とはいうものの、修学旅行ですからね。人じゃなくて、そこにいるということに意義がある旅だからな。仕方がないのかもしれない。
258 たそがれの奈良の宿屋のののきちかくせまりきてんよ銀鼠ぞら
たそがれ時の奈良の町、今夜のお泊まりは奈良だったそうです。どのあたりだったんだろう。気になりますね。東大寺、若草山、春日大社をつなぐ道沿いに昔ながらの旅館はあったので、おそらくあのあたりだったのか。
だとすると、夕日は宿屋の窓から見えたのか、それとも宿屋の外に出て、暮れゆく空を見ていたのか、とにかく宿屋さんの入口は東向きです。西の空は、旅館の中から見上げるしかありません。
他に、奈良の町で古くからの旅館って、どこにあるんだろう。興福地の南の、猿沢の池のまわりにありました。
どこに泊まったのかなあ。その宿屋の軒近くに東から銀ねずみ色の空が迫ってきた、そういう内容です。そんなに何かに訴えるというものではないようです。ただ夕暮れの空を銀ねずみにしたのがミソで、賢治さんの発明ではないと思われます。

259 にげ帰る鹿のまなこの燐光(りんこう)となかばは黒き五日の月と
鹿の目の色にポイントをあてているのはさすがです。それと5日の月との関わりです。たまたまそういう巡り合わせで、たまたま見つけたから一つにまとめたんでしょう。でも、だったら、月と鹿が同時に存在するんでしょう。
夕方の早い時間だったら、西の空に三日月は出ているから、夕方の鹿の目の燐光ということでいいんでしょうか。
どうして「逃げ帰る」んでしょう。説明不足ですね。せっかく奈良に来たのに、ただ目に映ったものをまとめただけという気がします。「だから、どうした。」とか、私はこれが言いたいというのがわかりにくいです。
5日目の月、ほとんど黒と同じととらえたところはおもしろいかもしれない。私たちなら、細い光に目が行ってしまいますが、賢治さんは黒さを感じられた。ここらあたりはなかなかなんじゃないかな。この暗さを見つけられるところが後の童話世界に生かされていると思われます。

260 かれ草の丘あかるかにつらなるをあわたゞしくも行くまひるかな
奈良市内から、道が開けるとすぐに東の突き当たりに若草山が見えます。ほかの山は針葉樹なのか、深緑のごくふつうの日本の山の色なのに、ここだけは若草色です。少しだけドキッとします。大きな芝生の山が三つ重なっています。ゴルフ場ではあり得ないし、1月の中旬に山焼きをするから、すべてリセットされた草の色のようです。
それを賢治さんは取り上げました。下の句がおだやかではありません。どうしてソワソワと落ち着かなく通り過ぎるのでしょう。
まあ、修学旅行だから、自分が見たいところも見られないし、表層的に詠っているんでしょう。だから、中身的にも「だからどうなの?」「何が言いたいの?」という雰囲気です。
256 日はめぐり幡(はた)はかゞやき紫宸殿(ししんでん)たちばなの木ぞたわにみのれる
京都の御所に来たのかな。三月にたちばなの実が実っていたそうです。なかなかいいですね。
京都に先に来たのかな。

257 山しなのたけのこやぶのそらわらひうすれ日にしてさびしかりけり
これは「やっちゃった」という短歌ですよ。最後の「さびしかりけり」なんて、そんなことを言ったら、すべてが終わってしまいます。もうこれは短歌ではなくなってしまいそうです。
そもそも、せっかく京都に来たというのに、どうして山科にいるんです? 森林調査でもしたんですか? 薬科大学でも行ったんだろうか? 古墳調査ではないしな。醍醐寺でもないでしょうけど……。
「たけのこやぶ」みたいなところにいるみたいです。なぜ歌われているものがお天気なのか!
若い詩人かぶれの人がよくやるミスです。自分は文章が書けると過信して、文でお天気でも風景でも描くことができると思って、チャレンジして、結局何も描けていなかったりするのです。私も同じミスを何度もしましたし、今もしている気がする。
どうして踏み込んで人という存在を描けてないんです。ダメだなあ。人を見なくちゃ! とはいうものの、修学旅行ですからね。人じゃなくて、そこにいるということに意義がある旅だからな。仕方がないのかもしれない。

258 たそがれの奈良の宿屋のののきちかくせまりきてんよ銀鼠ぞら
たそがれ時の奈良の町、今夜のお泊まりは奈良だったそうです。どのあたりだったんだろう。気になりますね。東大寺、若草山、春日大社をつなぐ道沿いに昔ながらの旅館はあったので、おそらくあのあたりだったのか。
だとすると、夕日は宿屋の窓から見えたのか、それとも宿屋の外に出て、暮れゆく空を見ていたのか、とにかく宿屋さんの入口は東向きです。西の空は、旅館の中から見上げるしかありません。
他に、奈良の町で古くからの旅館って、どこにあるんだろう。興福地の南の、猿沢の池のまわりにありました。
どこに泊まったのかなあ。その宿屋の軒近くに東から銀ねずみ色の空が迫ってきた、そういう内容です。そんなに何かに訴えるというものではないようです。ただ夕暮れの空を銀ねずみにしたのがミソで、賢治さんの発明ではないと思われます。

259 にげ帰る鹿のまなこの燐光(りんこう)となかばは黒き五日の月と
鹿の目の色にポイントをあてているのはさすがです。それと5日の月との関わりです。たまたまそういう巡り合わせで、たまたま見つけたから一つにまとめたんでしょう。でも、だったら、月と鹿が同時に存在するんでしょう。
夕方の早い時間だったら、西の空に三日月は出ているから、夕方の鹿の目の燐光ということでいいんでしょうか。
どうして「逃げ帰る」んでしょう。説明不足ですね。せっかく奈良に来たのに、ただ目に映ったものをまとめただけという気がします。「だから、どうした。」とか、私はこれが言いたいというのがわかりにくいです。
5日目の月、ほとんど黒と同じととらえたところはおもしろいかもしれない。私たちなら、細い光に目が行ってしまいますが、賢治さんは黒さを感じられた。ここらあたりはなかなかなんじゃないかな。この暗さを見つけられるところが後の童話世界に生かされていると思われます。

260 かれ草の丘あかるかにつらなるをあわたゞしくも行くまひるかな
奈良市内から、道が開けるとすぐに東の突き当たりに若草山が見えます。ほかの山は針葉樹なのか、深緑のごくふつうの日本の山の色なのに、ここだけは若草色です。少しだけドキッとします。大きな芝生の山が三つ重なっています。ゴルフ場ではあり得ないし、1月の中旬に山焼きをするから、すべてリセットされた草の色のようです。
それを賢治さんは取り上げました。下の句がおだやかではありません。どうしてソワソワと落ち着かなく通り過ぎるのでしょう。
まあ、修学旅行だから、自分が見たいところも見られないし、表層的に詠っているんでしょう。だから、中身的にも「だからどうなの?」「何が言いたいの?」という雰囲気です。