甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

小川洋子「冷めない紅茶」 1991 福武書店

2017年01月13日 21時37分38秒 | 本と文学と人と
 小川洋子さんがデビューしたてのころ、福武書店の雑誌で活躍されていたそうで、それがそのまま福武文庫になったそうです。全く知らなかったし、興味がなかった私は、全く無視して知らんぷりでしたが、こんな小説を書いておられたらしい。こんな作家さんだったのかなあ。

 中学の同級生が亡くなって、そのお通夜からの帰り道、同級生でお通夜に参加していたKくんと主人公はたまたま一緒に歩くことになります。それにしても、Kという文字は、日本ではそれはもう意味深長に使われています。もうこの文字で、私たちはドキッとするように教育されてきましたからね。もう、何かあるなあという気持ちです。これは漱石先生の「こころ」以来ずっとかな……。

 でも、まさか、不倫とか、殺人とか、どういう展開になるの? まさかそんなことはないだろうけど、先が読めません。

 主人公は、その時、ある男の人と同棲していて、その男の無理解といい加減さにウンザリしています。

「だったら、そんな男とはさっさと別れてしまえばいいのに!」と無責任に読者の私たちは思いますが、これもまた人生と同じで、ダメだと思っているヤツとのつまらない関係を終わらせることができません。

 人の出会いって、好き嫌いもあるけれど、出会いというのがなかなか大切で、単純に割り切れるものではないのでしょう。とにかく主人公はつまらない男と同棲している。久しぶりに出会ったKくんに胸ときめいている。

 主人公は、Kくんに少しひかれたので、連絡先を教えます。ということは、同棲している家の電話に連絡が来るということです。今ならケータイ・スマホがあるのでもっと簡単に密談が進められますが、昔は、ハードルが高くて、電話は家に1つしかありませんでした。それくらいドキドキ感はあったでしょうね。

 主人公は、ずっと電話を待ち続け、やっと連絡をもらって、やすやすとKくんの家に行きます。けれども、そこには女の人がいました。Kくんは女の人と結婚していたのです。だったら気まずいじゃないの! と思うのに、小説の中の人々はわりと淡々としていて、何だかあぶなっかしいのです。

 ああ、これはいけない。どうなるの? これからドロドロになるの? それとも私がKくんを奪うの? と、私は下世話な心配をしてハラハラしていたら、どうも、この小説はそんな下世話なドロドロには行かないのです。



 少しずつ、このあやしい世界のからくりがわかってきた私(このブログの作者)は、「この小説の世界は、現実と非現実を行ったり来たりしているのだ」とやっと気づくのでした。鈍いのです。

 だったら、どこが現実で、どこが非現実なのか、それがはっきりしないままに小説は終わります。それで、ひよっとしてお通夜に行ったのは、実はKくんのお通夜であり、亡くなったのはKくんではなかったのか? と思った次第です。そして、お通夜に行ったときから、ずっと小説の中の「私」は、非現実の世界に入り込んでいたのではないかと……。

 だったら、これはファンタジーだったのか、それとも幻想小説だったのか。そのあたりのポジションがわからなくて、芥川賞はまだあげれないな、という感じだったのかもしれません。

 もう1つの小説は、なかなか読めないので、今からチャレンジしてみます。



追記

 このタイトル、Kくんのおうちに行ったとき、たまたまKくんの奥さんはいなくて、なんだかあぶない雰囲気で、ああ、これは不倫のドラマになるのと心配していたら、紅茶を飲むときに、紅茶だけがやたら熱くて、主人公は現実世界にもどれるきっかけみたいなのがもらえる、みたいな形になっていました。

 私の記憶なので、まちがい・誤解がいっぱいあるかもしれません。それで、小川洋子さんは、そういうところからスタートした作家さんなのだと、改めて思ったんでした。

 異界との静かな対話みたいなのがテーマの作家さんなのかもしれない。まちがっているかもしれないけど、私は勝手に思い込んでしまいました。

 よくわからないのに、1つ読んだだけで知ったかぶりをして、本当にダメですね。いろいろなサインがあるのかもしれないです。わりとファンには受ける作品なのかもしれないです。これも全く調べないで書いています。

 他のも読んでみますね。失礼しました。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。