甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

鬼ケ城・絵ハガキさんぽ その1

2023年02月23日 10時17分51秒 | 三重・熊野さんぽ

 300円で買った絵ハガキセットでした。たぶん、四天王寺の古書市で買ったものだと思われます。

 よく見てみたら、消印も押されていて、17年の4月15日、勝浦から大阪の憲二さんへ、息子か娘の利世という人から送られたものでした。

 17年ということは、1942年でした。ここに貼られている四銭切手は、1937~44年まで使われていた切手のようです。デザインは東郷平八郎さんでした。絵ハガキセットまるごとを送っているみたいなので、当時としては高額な郵送料だったのでしょう。今だったら、140円とか、240円くらいはするかもしれないな。それくらいに絵ハガキセットを今すぐ送りたかったようです。



 大阪から、勝浦や三重県の熊野市の鬼ケ城というところは、はるか遠いところで、戦時中なのにどうして利世さんは勝浦なんかにいたんでしょう。仕事だったのかもしれないな。勝浦から熊野市の鬼ケ城は数十キロはあると思うので、どこでこの絵ハガキセットを手に入れたのか、それはわかりませんけど、憲二さんに見せてあげたかったみたいです。

 そう思うと、大事に扱わないといけない気がします。古本や古い紙類など、売り買いされてはいるものですが、何となく手軽にホイホイするものではないようです。その背景も一緒にしょい込む感じです。


 このハガキに、墨で書きかけの文章が載っていました。

 兄さんは、心に思ふことがあって此方(こちら)へやって来たが、決して遊びに来たのではない。心の中のなやみに似たものをきれいさっぱりと解決するためだ。

 ということでした。そうでしたか。利世さんは男の人だったのか。大阪の十三あたりに住む弟さんに向けて絵ハガキセットを送ることにしたんですね。

 どんな悩みを抱えておられたんだろう。1942年とは、2月15日にシンガポールを占領し、3月2日にはバタビアも占領、快進撃が続いていたようです。けれども、4月30日、初めて本土空襲をされるという、どん底に向かって行った時ではありました。どんな悩みを抱えておられたのか、普通に生きていてもあれこれ悩むのに、国全体が戦争万歳みたいにしてやっていた時でした。まるで昨日のプーチンさんみたいに、20万人をスタジアムに動員して、みんなに「ウラー(万歳)」を強要している、あれと同じことが行われていたようです。

 そりゃ、情けなくなったりしただろうな。

 最近知った話ですけど、最初の日本への爆撃は、中国の奥地の四川省から出撃していったということでした。だから、爆撃する場所は限定されていた。それが少しずつ基地を日本に近づけて行って、日本全土が攻撃対象へと変化していく、その途中の1942年の4月でしたね。

 81年ほどの時間が経過していますが、世界では同じようなことが行われているようです。となると、結果は同じようになるはずです。そんなにいつもと違う結果にはならないでしょう。たまたま独裁制のトップに立つプーチンさんが、ムチャクチャな戦争を始めて、少しは侵略が進むこともあるだろうけれど、結果は敗北です。ロシアの国内がどのような変化を遂げるのか、それは未知数で、プーチンがいなくなったとしても、あらたな独裁者を育てることになるかもしれない。何度も何度も失敗し、苦い経験をさせられていくのだと思われます。

 希望は、ロシアの人々です。支持率80%を早くゼロにしてもらえるように、祈りたいと思います。


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