甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

松島のつづき! 久しぶりですね!

2022年03月07日 21時00分35秒 | 芭蕉さんの旅・おくのほそ道ほか

 もう半年ぶり、それ以上かもしれません。すぐに時間は過ぎてしまうし、芭蕉さんとの距離は一日ボンヤリしていると遠くなってしまいます。

 芭蕉さんの松島のつづきを見てみます。

 雄島(おしま)が磯(いそ)は地つづきて、海に出(い)でたる島なり。雲居禅師(うんごぜんじ)の別室の跡・坐禅石(ざぜんせき)などあり。

 雄島が磯は、陸から地続きになって海に突き出ている島となっています。雲居禅師の別室の跡や座禅石などがあります。

 芭蕉さんが旅をしているのは1689年の5月の初めの松島です。雲居禅師は伊達政宗さんの意向で招かれたお坊さんで、瑞巌寺を立て直した人なんだそうです。でも、1659年に78歳で亡くなっています。でも、同じ時代を生きた立派なお坊さんの足跡も確認できたということですね。

 つい何年か前まで、そんな立派なお坊さんがいて、その人を偲ぶことができました。



 はた松の木陰に世をいとふ人も稀(まれ)まれに見えはべりて、落穂(おちほ)・松笠(まつかさ)など打ちけふりたる草の庵(いおり)、閑(しずか)に住みなし、いかなる人とはしられずながら、先ずなつかしく立ち寄るほどに、月海にうつりて、昼のながめ又あらたむ。

 また、松の木の下に俗世間を避けて住んでいる人の姿もごくまれに見えるようでして、落ち穂や松笠などを焚く煙が立ち上っている草庵に、いかにも静かに住んでいるようで、どういう素性の人なのかわからないですが、何よりも懐心惹かれて立ち寄って見ていると、月の光は海に映えて、昼の景色とはまた違う感じになりました。

 松島のあちらこちらには、今もお坊さんたちが庵を結び、修行しているようであったなんて、たくさんある島々が独立した世界みたいになってたのかもしれないけど、そんなに何もかも爽やかでキレイな出家生活ができていたのかどうか、少し理想化されてるんじゃないかな?



 江上(こうしょう)に帰りて宿を求むれば、窓をひらき二階を作りて、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで妙(たえ)なる心地(ここち)はせらるれ。

 松島の海のほとりに宿を借りて、海に向かって窓を開け、その二階の座敷から風や雲を眺めて寝るというのは、恐ろしいくらい不思議な気持ちになるのです。



  松島や鶴に身をかれほととぎす     曽良

 曽良が句を詠みました。松島とはすばらしいところです。ちょうどそこで鳴いているホトトギスよ、鳴き声はそのままでいいけれど、姿は鶴になって鳴いてみたらどうだろう。それがふさわしいような気がするよ。という内容です。



 予は口をとぢて眠らんとしていねられず。旧庵(きゅうあん)をわかるる時、素堂(そどう)松嶋の詩あり、原安適(はらあんてき)松がうらしまの和歌を贈らる。袋をときてこよひの友とす。かつ、杉風(さんぷう)・濁子(じょくし)が発句(ほっく)あり。

 私は句を作ることは諦めましたが、なかなか興奮のせいなのか、寝付けませんでした。江戸の草庵を出る時に友人の素堂は漢詩を作ってくれました。原安適からは松島の短歌をお餞別に贈られました。旅の袋をひらいて、今宵の友としましょう。それから、杉風や濁子らの発句も見つけることができました。


 何だか、ちょっとポーズをとりすぎですよ。これが文学というものですか。そうなのか、やはり気取って書かなきゃ文学にはならないですね。

 窓を開け放って、風と光と月と潮騒、そういうのを聞かなきゃいけないし、ホトトギスにも同情してあげなきゃいけないんです。ホトトギスにしてみれば余計なお世話なんだけどな。

 文学って、お節介で、いいカッコしいで、決めつけが多いんですよね。

 そういうのって、平和でもありますね。

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