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甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

長身の 加藤和彦 寝待ち月

2015年05月12日 21時02分54秒 | High School Days
 今日、それなりに仕事も終わって、片付いた気分でした(たぶん)。帰りのクルマでは、AMもFMも何だか聞く気が起こらなくて、仕方がないので転がっている自己編集のCDを聞くことにしました。

 そのCDは男性ヴォーカルが入っています。桑田さん、村下孝蔵さん、佐野元春さん、小田和正さんなど、今まで自分が聞かなかった人たちの曲を編集して入れています。その中に、2002年11月のザ・フォーク・クルセダーズの新結成記念 解散音楽会のライブCDからいくつかコピーした曲が入っていました。

 今日は、いつもならスキップしてしまう曲ばかり聴いてしまうのでした。いつもならフォークルさんの曲はスキップしてしまうのに、どういうわけか聞いてみようということになって、

 戦争を知らない子供たち、悲しくてやりきれない、などを聞いてしまいました。そして、ふと思い当たったのは、「あの素晴らしい愛をもう一度」でした。

 たしか1975年のコーラス大会で、うちのクラスが選んだのがこの曲でした。2曲歌ったんだか、1曲だけだったのか、その辺の記憶はあいまいなのだけれど、たぶん「あの素晴らしい愛をもう一度」は、クラスで歌うことにした曲でした。夏休み前に校内の大会があって、そこで勝ち上がったクラスが文化祭でふたたび決戦をするというスタイルで、うちのクラスは指揮者におっちょこちょいの私を選んでしまいます。

 笛もろくに吹けない私なのに、選ぶ方も、引き受ける方も、もう少し考えろよと思うのですが、とにかくおっちょこちょいで何でもしてやろうと思っていたのか、あまり深く考えないで私は指揮者になりました。



 指揮者とは、メンバーの思いがけない力を引き出す、不思議な存在であるはずです。ところが、自分のパフォーマンスしか考えていないオッチョコチョイでいい加減な私が前に立つのですから、クラスの歌は個々がどんなに頑張っても1つの力にはなりませんでした。クラスの出し物そのものを不安定にさせてしまったんですから……。

 どんな練習をしたのか、もう忘れてしまったんですけど、とにかく本番の日、どこで見つけたのかわからないけれど、指揮には棒が必要であると勝手に思い込んだ私は、ドラムスティックを借りてきて、それでみんなを指揮することにしました。やはり、自分のパフォーマンスしか考えていなかったのでしょう。というのか、そういうものだと形に熱心だったのかもしれません。A型で乙女座の私は、とにかく形が大切だったのでしょう。ハーモニーはどうでもよかったのです。指揮者には指揮棒があるべきはずだと……。

 クラスの面々は懸命に歌ったと思います。でも、指揮者が指揮者だけに、指揮者が音楽を聞いていないし、とにかく腕を振ることだけに必死になっていて、クラスのみなさんのことを考える余裕がないわけですから、たぶんまとまっていなかったのでしょう。いや、クラスのみなさんも半信半疑で歌っていて、「失敗したな」と思っていたかもしれない。私を選ぶこと自体が間違いだったのです。音楽の流れ方がまるでわからない私が音楽をやろうとしてもダメだったのです。

 そして、歌っているうちに、さすがにドラムスティックは重かったのか、途中で落として舞台の上を転がっていくし、もうハチャメチャのステージとなったのであります。ああ、情けない。

 その恥ずかしい思いをした曲が、「あの素晴らしい愛をもう一度」だったのです。なんと恐ろしい思い出でしょう。私は顔から火が出るような、顔がもうどうしようもなくなるような、とんでもなく恥ずかしい思いをたくさんしてきていますが、そのうちの1つだったでしょうね。

 もう忘れていましたし、こうして書いているけど、本当にあったことなのか、自分でも半信半疑です。でも、たぶん、そんなことがあったような気がします。いや、クラスのみなさんの記憶には残っていることでしょう。



 この曲も大好きな曲で、ラジオから流れたら、もう泣いちゃいますね。1人で運転していたら……。


 私の恥の多い人生とは全くかけ離れた加藤和彦さんは、フォークルのメンバーでした。「帰ってきたヨッパライ」は何だか楽しい曲だと思ったのに、本当の声ではないと知り、ズルイと思ってからは、無視するようにして、それでフォークルとは距離を置くようになり、数年後に高校生になってみたら、彼らはいくつかの名曲を作っていて、当時の高校生たちは愛唱歌にしていた。

 それで、あわててコーラス大会の勝負曲に選んだけれど、指揮者の選択でズッコケて、クラスは当然のことながら予選落ちになりました。

 そんなこととは全く無縁の加藤さんは、その後も30年間音楽界の中で独自の世界を切り開いていった。

 私は、個人的には「シンガプーラ」という曲の入った『それから先のことは』が好きでしたが、あまりヒットもせず、あれやこれや加藤さんがいろんなプロジェクトを作って、いろんな曲を出しても、お客はついて行けてないような感じでしたっけ……。

 そして、年を取ったファンたちは、フォークルの曲が聴きたいとせがむとしたら、加藤さんはやりきれない思いだったかもしれません。いろいろやってみるけれど、ファンは昔の曲しかよしとしない。愛する奥さんの安井かずみさんはすでにこの世になく、なんともいえない気持ちだった。



 そして、2009.10.16に亡くなってしまう。それから2年後の追悼番組を見て、気分屋の私は、さもわかったような冒頭の一句を作ったのです。

 もっと別の表現があると思われますが、加藤さんが、いい加減な世の中をクールに見ながら、寝転がってお月さんを見ているというような感じの句です。



 それだけの句で、説明もいらないし、深みもないですね。またいつか、チャンスがあれば書きたいけど、とりあえず、今夕、ふと思い出したので書きました。そうです。舞台でドラムスティックを転がすとんでもない凡人が見えたので、バカなヤツがいたなと思って書きました。それが自分であるのが情けないです。


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