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甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

今昔物語から 尼の信心と手の皮

2014年06月17日 21時45分45秒 | 三重の文学コレクション
★ 伊勢の国飯高郡(いいたかのこおり)の尼 往生(おうじょう)すること 第三十八

 今は昔、伊勢の国、飯高郡(いいたかのこおり)、上平(かむつひら)の郷に一人の尼ありけり。この石山寺の真頼(しんらい)といふ僧は、この尼の末孫(ばっそん)なりけり。

 飯高の郡といえば、松阪からそうとおくはありません。石山寺というのは、滋賀県の大津の石山寺でしょうか。近いといえば近いけれど、松阪近辺に石山寺というのは聞いたことがありません。どこかにあるのでしょうか。とにかくそのお寺の真頼というお坊さんは、このお話の尼さんのお孫さんということです。出家する前に生まれていた子から血がつながっているのでしょう。 

 この尼もとより道心ありければ、出家して尼となりて、ひとへに弥陀(みだ)の念仏(ねんぶつ)を唱(とな)へて、極楽(ごくらく)に往生せむと願ふて年ごろを経(ふ)る間、*尼手の皮を剥ぎて、極楽往生の相の図を奉らむと思ふ心ねむごろになりけるに、みづからこれを剥ぐことあたはずして過ぐる間、一人の知らぬ僧出で来たりて、尼に向かひていはく、「我れ汝(なんじ)がねむごろの志を遂(と)げけむがために、汝が手の皮を剥がむ」と。尼これを聞きて、喜びてこれを剥がしむ。僧即(すなわ)ちこれを剥ぎはてて後、たちまちに失(う)せぬ。

 尼さんの信仰心は篤く、ひたすら極楽に往生することを願い、自分の手の皮をはいで、そこに極楽往生の絵を描くことを願っていたそうです。今の世の中でも、耳や鼻、目尻やくちびる、舌、へそなどいろんなところにピアスをして、自らの体を傷つけ、何かに義理立てている若い人たちがいます。あれも何かの信仰なのでしょう。目にはひとみが大きくクリアーになるコンタクトを入れたり、もうあの世のことを願うのではなくて、ひたすら現在の個性とやらのために、危ない橋を渡っているようです。自らそれを求めているのか、それとも誰かに踊らされてそんなことをしているのか、私にはわかりません。とにかく、このお話の尼さんには、手の皮をはぐことが信仰心でした。今の私たちは「エーッ、残酷」とか、「こわーっ」とか、そんなことしか言えませんけど、当時の人々にしてみれば、感心な行為であったのだと思われます。血が出ることは問題なしなのですね。ここは神仏の助けにより、血なまぐさいことなど全くありません。

 その後、尼極楽浄土の相を、心の願ひのごとく写し奉りて、一時(ひととき)も身を離さず持(じ)し奉れり。尼遂(つい)に命終はる時に臨(のぞ)みて、空の中に微妙の音楽の音ありけり。終はり貴くて失せぬれば、必ず極楽に往生しぬと、聞く人皆貴(たっと)びけり。
 末孫の真頼往生す。真頼が妹の女、また往生しにけり。しかれば、この族(やから)に三人の往生の人あり。これありがたく貴きことなり、となむ語り伝へたるとや。

 尼さんの信仰心の力により現れた神仏によって、尼さんは自分の手の皮に描かれた極楽往生の絵を肌身離さず持ち歩き、とうとう願い通り極楽往生をします。その証拠には、尼さんが亡くなるときにだれかが妙なる音楽を聞いたという証言があったのです。子孫も極楽往生をして、信仰心の豊かな一族であるとまとめて、お話は終わります。ただ、手の皮をはいで、そこに極楽往生の絵を描くという設定が恐ろしい内容のお話でした。そして、今の私たちから見れば奇異な行動です。でも、当時の人から見れば、現代の私たちもおかしなことをいっぱいしていると思うのです。そういうところを、もっと簡単に見直せたら、すごくありがたいと思うですが……。そんなに簡単に教訓はやってきてくれません。現実はきびしいものがあります。


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