NHKR2のカルチャーラジオ 木曜日の「ゴシックの扉」がおもしろいです。
① ゴート人からゴシック建築へ ② ゴシック小説の誕生~崇高の美学
ゴシックには暗いイメージがあり、死の象徴、死を体現したもので、吸血鬼やゾンビ、エイリアン、人造人間などを含むそうです。ゴシックとはゴート人のことで410年にゴート人がローマに侵入して略奪したから、ゴート人はローマ人におそれられ、それ以来敵になりました。そして、ゴシックは野蛮なという意味の悪口になったそうです。
イギリスのゴシック小説は不気味なこわい小説ですが、なぜか人気があるのです。ウォルポールの「オトラント城」をとりあげていました。
火曜日の「日本スポーツ文化史」①先史時代の運動文化 ②騎射競技と相撲の萌芽 が面白かったです。
スポーツとは個人または団体で行う身体活動ですが、広い意味では遊び戯れることを言います。
肉体活動だけでなく知的な遊びも入り、競争が入るかどうかで決まり、登山のように自分との競争も入るものはスポーツと言えます。
旧石器時代から人々は獲物を捕らえるため槍を使ったり、弓矢を工夫しました。
弥生時代になると食料を求めて戦争をするようになり、弓矢は人を攻撃する武器になりました。
古墳時代には馬が日本に入ってきて、人々は馬に乗って弓矢を射るまでになりました。
古墳から馬の埴輪が見つかるようになります。
相撲は力比べの格闘技です。
古事記によると、国譲りは、力比べの勝負で決まりました。天照大神が送ったタケミカヅチノカミと大国主の尊が命じたタケミナカタノカミがたたかって、タケミナカタノカミがタケミカヅチノカミの手を取ると氷になったそうです。タケミカヅチノカミがタケミナカタノカミの手を取るとすぐ折れたので、タケミナカタノカミは負けて、信濃の諏訪湖まで逃げたそうです。それで大国主は国譲りをしたそうです。
日本書紀によると垂仁天皇の時、天覧相撲があったそうです。タイマノケハヤと出雲出身のノミノスクネが対戦し、両者とも足を上げてけり合ったそうです。スクネはケハヤの肋骨をけり折って殺してしまったそうです。
古墳から力士の埴輪が発見されることから、葬送儀礼として相撲がとられたことがわかります。
豊穣儀礼としても相撲がとられます。神事相撲ともいいます。水の神と相撲をとって豊作かどうかを占ったりします。泥んこ相撲や、赤ちゃんが泣き比べをする泣き相撲もあります。
歩く、走る、とぶ、泳ぐ、押す、滑る、運ぶ、引っ張る、投げる、打つ、用具を操るなど運動の基本形態は先史時代からあったそうです。