弓道修行日記

このブログに、弓道修行する中で、学んだこと、考えたこと、試行したこと等を書き残し弓道修行の友とする。

弓道の歴史ー概要ー2.日本の弓術に影響を与えたもの

2010-02-24 | Weblog
前稿で「弓道の歴史ー概要ー1.弓道の始まりから戦時中まで」を書きましたが、この日本の弓道の前身、弓術に影響を与えたものとして、①仏教の伝来、②蒙古来襲による蒙古式弓射、③儒教伝来による儒教の影響、④礼記の導入、礼記射技の影響、孔子の射義論、⑤道教の導入、⑥禅の導入、⑦射学正宗の伝来・・・・等々の思想や技術が入ってきて弓術の考え方も変わってきたものと思われます。しかし、それは情報伝達が遅い時代では、影響を受けたところもあったり、無視されたものもあったり、誤解されたものもあったりいろいろあったことでしょう。

仏教の影響を受けていると思われるのは聖徳太子を始祖とする太子流、竹林派などが言われています。
蒙古来襲では、和弓とモンゴル弓との威力の差があったと思われますが、どうだったのでしょうか。

戦いの世において、侍は安心立命のの境地を求め、全学的な宗教思想や坐禅的な宗教行事による、精神修練の方法を求め、武術的技法の尊重と共に道的宗教的修練法とされたようです。

射学正宗は中国の明の時代に、高頴によって記された射法指南書で江戸時代に日本へ輸入されました。これには弓射の奥義をわかりやすく教示してあり、すべて明らかにして教示したところが特に弓道家達へ感銘を与え、わが国の弓道界にも大きな影響を残したといわれています。

「射学正宗」は、射法の五つについて説く「捷径門」、心の惑いの解決法を説く「弁惑門」、弓具について説く「択物門」で構成され、特に「指迷集」には騎射について記されたところも散見します。

そう言う影響もあったと思われますが日本の各地にいろんな流派がそれぞれ自分の流派が正しいと各流派で修業が続いていたと思われます。

その中で江戸時代には三十三間堂通し矢の流派間の競争がありました。この内容の一部は、前稿『「三十三間堂通し矢物語」と小説「弓の源八」』の紹介した映画で見ることだ出来ます。ここで弓具や射法の改善が行われました。

弓道場に掲示してある射法訓は吉見順正が書いた物と言うことですが、吉見先生は、台右衛門経武(つねたけ)と称し、徳川時代に於ける紀州藩の名藩士であり、当時における弓界の名豪 星野勘左衛門(尾州藩士)、和佐大八郎(紀州藩士)等の先輩 として弓道の教示に当った文武兼備の名士といわれています。
後年仏門に入り、京都大徳寺境内に居を移して「順正 じゅんせい」と僧名していますが、その射法訓は私たちのも弓道の奥義と教えられています。

ということで、堂射から 独自の技術的発展を遂げたと言えます。
江戸時代中期以降堂射ブームは沈静化したものの、堂射用に改良された道具(ゆがけ等)や技術が後の弓術に寄与した面は大きいものがありました。

江戸時代幕府の民心安定化策により儒学による朱子学の奨励は、道学的傾向が強くなり、武士道成立し、武道全般が道学的指向の道をたどり、ここに武道的立場に立った近代弓道の成立が考えられるのです。平和的弓道指向の道です。


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