弓道修行日記

このブログに、弓道修行する中で、学んだこと、考えたこと、試行したこと等を書き残し弓道修行の友とする。

弓の映画「三十三間堂通し矢物語」と小説「弓の源八」

2010-02-22 | Weblog
弓の映画をご存じですか「三十三間堂通し矢物語」と言うのがあります。NHK衛星放送でも放送されたことがあります。

監督 成瀬巳喜男 成瀬初の時代劇である。
製作 清川峰輔
脚本 小国英雄
出演者 長谷川一夫、田中絹代、市川扇升
公開 1945年6月28日 戦時中です。

解説 [編集]
京都・三十三間堂で江戸時代の初期から行われてきた通し矢にまつわる実際の出来事に題材をとった作品。

1945年1月から5月にかけて撮影。当時は太平洋戦争末期で、度重なる空襲に中断を余儀なくされながらの撮影であった。また映画界の一致協力が求められたため、東宝作品だが松竹下加茂撮影所が使われ、松竹から田中絹代・葛城文子が参加している。

あらすじ [編集]
紀州家家臣の和佐大八郎は、通し矢の記録8,000本に挑むべく弓術の訓練に励んでいた。彼の父は尾州家家臣の星野勘左衛門に記録を破られて自害したため、和佐家に縁ある宿屋・小松屋の女主人お絹が大八郎を引き取り、父の無念を晴らすべく弓を習わせてきたのである。しかし、大八郎はそんな周囲の期待を重荷に感じていた。

一方、勘左衛門の記録を守らんとする星野家は、浪人たちを雇って大八郎を付け狙っていた。ある日、この浪人たちに襲われそうになった大八郎だが、偶然通りかかった侍・唐津勘兵衛に救われる。やはり小松屋に寄宿している勘兵衛は、大八郎の力になることをお絹に約するのであった。

後日、二人は再び浪人たちの待ち伏せに遭う。勘兵衛は大八郎を先に帰し、一人で浪人たちに対峙していたところへ、浪人たちの黒幕・星野数馬が登場した。数馬と言葉を交わす勘兵衛。実は勘兵衛こそが、星野勘左衛門その人であった。家名を守るためにやったことという弟・数馬に対し、兄・勘左衛門は「卑怯な振る舞い」と非難する。

勘兵衛は、事情を知らないままの大八郎に「父君は勝負に負けたのではなく、通し矢の厳しさに殉じたのだ」と言葉をかける。しかし、やがて大八郎の前に数馬が現れ、勘兵衛の正体を明かしてしまった。裏切られたと感じた大八郎は勘左衛門に試合を申し込む。結果は大八郎の勝利に終わるが、勘左衛門に対する大八郎の心情はかたくななままであった。

通し矢の当日、順調に的中を重ねていく大八郎。5,000本を越えたところで、疲れた大八郎は勘左衛門の言うことを聞かずに休憩を入れる。しかし、再開後は全く的に当たらなくなってしまった。休んだことで肩に血が溜まってしまったのである。お絹を通じて勘左衛門からの薬と言伝てを受け、気持ちを入れかえた大八郎は、勘左衛門を超える8,133本の記録を達成するのであった。

弓の源八
図書館で朗読のテープがありそれを借りて聞きましたが本がありました。
池波正太郎
剣客群像
文春文庫 約三〇五頁
短編集 江戸時代

【目次】
秘伝
妙音記
かわうそ平内
柔術師弟記
弓の源八
寛政女武道
ごろんぼ佐之助
ごめんよ

「弓の源八」のあらすじ
子松源八は年少のころから弓に才を見せた。が、兄が松江藩の汚職事件・棚橋くずれに連座して牢に押し込められ、子松家が取り潰しになると、源八は田舎の村に引っ込んだ。
兄の所行を恥じていた源八だが、おりつという寡婦と知り合い少しずつ変わってきた。



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