急行特急TH「フリートーク続く、急行特急TH発日曜深夜夜話です。涼風さんにはお帰り頂きまして、再びワンマンでやります。次もまた、嫌な話を続けたいなと思います。丁度昨年2009年の4月位にですね、以前に何回も紹介している、失恋と別れのバラード曲を急に聴きたくなりまして、カラオケでもその当時歌ったりもしたんですが、そういたしましたら、失恋はありませんでしたが、別れがありまして、いや~凄い偶然~と思いました。タイトルは自粛したいと思いますが、それまで取り立てて、物凄く聴きたいなぁ…って思った事なかったんですが、その時は旧に聴きたくなりました。そして今年は、ある場所で聴いた曲に改めて痺れさせられたのが原因なのか解りませんが、不意に2~3日前に聴きたくなりまして聴きました。こちらも取り立てて聴こうという気には大してこれまでならなかったんですが、そうしましたら見事に雰囲気にはまってしまいまして、あららら…という感じで身に起こる突然の衝動というか行動に自分でも驚きを隠せないのですが、遂に、許していた
事、胡麻化していた事、笑い飛ばしていた事が、もう出来なくなってしまった事。何時までも人間、笑っては居られない事がありましてそれが自分の中で噴き出してしまった事がありましたし、これ以上、今までのままではいけないと想い思えた事とこれまでの無理歪みが一気に基に戻れないと言う結論に到りしまして、今、それを形にしていますが、卑怯と解ってはいても、問題を大きくさせない為と嫌な想いをする事を回避する為に、曖昧にぼかして、書いている本人しか解らない話をしています。私もこう考えると、話上手、話題豊富な人間じゃないな、と改めて思います。会話は、こう言う場はともかくとして、誰かあっての物で、誰かが賛同出来たり、解り合える話をしないと会話なんか続かなくて、こんなワンマンショーになっちゃいますけど、このワンマンショーさえ、何かうまく話が回らない事もあるなと思います。そんな風にして、巡り巡ってたった独りになっていく自分自身が居る訳ですが、それ自体、私は別に昔からそんなでしたから、大して気にはしないです。しかし気に
させられるのが‘‘第三者,,の‘‘言葉,,でして、‘‘だからお前は何々なんだ,,とか‘‘お前はダメなんだ,,と言う言葉達で、それらを聞く度と全てをうまく運べない自分自身に、‘‘自信喪失,,したり‘‘あらぬ焦燥感にかられたり,,しまして、‘‘空回り,,や‘‘物事を複雑にしてしまうイコールトラウ゛ルを誘発する,,結果になって、それらが結局、自分自身を追い詰める結果になって、‘‘自分は何も出来ないのではないか,,とか‘‘自分がここに居る事で誰かに迷惑がかかるのではないか?,,という‘‘自信喪失,,に繋がる事が往々にしてあるなと思います。‘‘,,ばかりで読み難い文章になっていますが、それらが‘‘身を退く,,つまり‘‘逃げ,,の姿勢にしかないです。とは言え、それで第三者が幸せになれるのなら、私はそれで良いかなと思ったりします。自分が居ることで周囲が不幸や嫌な気持ちになるのであれば喜んで身を退こうじゃないか、と思うのは、間違いじゃないとは思いますが、それは間違いみたいで。そんな気持ちと共に、醜い、
人を羨む、つまり、人が幸せになって行く姿を素直に祝福出来ない自分自身が生まれて、そんな人達見たく無いと思ったり、或は全く違う話になりますが、自分はそこまで誰かにされていない、このまま居ても居なくてもどちらでも良いやと言う想いが相手に芽生えていると思える所と先程の話題性のなさ、金か女か車かスポーツか音楽かという一般的な価値観にはやはりついていけない自分自身があって、相手に迷惑をこれ以上かけない為に、身を退くという意味で、連絡途絶・強制音信不通という手段に出た事はここ10年で何回かあります。それが今年2010年或は昨年2009年から起きている事態であります。哀しく淋しい話ですが、相手の幸せを願うにはこれしか無いと私は思います。故に、再び4、5年前の惨劇がまたありそうな気配が今しています」
事、胡麻化していた事、笑い飛ばしていた事が、もう出来なくなってしまった事。何時までも人間、笑っては居られない事がありましてそれが自分の中で噴き出してしまった事がありましたし、これ以上、今までのままではいけないと想い思えた事とこれまでの無理歪みが一気に基に戻れないと言う結論に到りしまして、今、それを形にしていますが、卑怯と解ってはいても、問題を大きくさせない為と嫌な想いをする事を回避する為に、曖昧にぼかして、書いている本人しか解らない話をしています。私もこう考えると、話上手、話題豊富な人間じゃないな、と改めて思います。会話は、こう言う場はともかくとして、誰かあっての物で、誰かが賛同出来たり、解り合える話をしないと会話なんか続かなくて、こんなワンマンショーになっちゃいますけど、このワンマンショーさえ、何かうまく話が回らない事もあるなと思います。そんな風にして、巡り巡ってたった独りになっていく自分自身が居る訳ですが、それ自体、私は別に昔からそんなでしたから、大して気にはしないです。しかし気に
させられるのが‘‘第三者,,の‘‘言葉,,でして、‘‘だからお前は何々なんだ,,とか‘‘お前はダメなんだ,,と言う言葉達で、それらを聞く度と全てをうまく運べない自分自身に、‘‘自信喪失,,したり‘‘あらぬ焦燥感にかられたり,,しまして、‘‘空回り,,や‘‘物事を複雑にしてしまうイコールトラウ゛ルを誘発する,,結果になって、それらが結局、自分自身を追い詰める結果になって、‘‘自分は何も出来ないのではないか,,とか‘‘自分がここに居る事で誰かに迷惑がかかるのではないか?,,という‘‘自信喪失,,に繋がる事が往々にしてあるなと思います。‘‘,,ばかりで読み難い文章になっていますが、それらが‘‘身を退く,,つまり‘‘逃げ,,の姿勢にしかないです。とは言え、それで第三者が幸せになれるのなら、私はそれで良いかなと思ったりします。自分が居ることで周囲が不幸や嫌な気持ちになるのであれば喜んで身を退こうじゃないか、と思うのは、間違いじゃないとは思いますが、それは間違いみたいで。そんな気持ちと共に、醜い、
人を羨む、つまり、人が幸せになって行く姿を素直に祝福出来ない自分自身が生まれて、そんな人達見たく無いと思ったり、或は全く違う話になりますが、自分はそこまで誰かにされていない、このまま居ても居なくてもどちらでも良いやと言う想いが相手に芽生えていると思える所と先程の話題性のなさ、金か女か車かスポーツか音楽かという一般的な価値観にはやはりついていけない自分自身があって、相手に迷惑をこれ以上かけない為に、身を退くという意味で、連絡途絶・強制音信不通という手段に出た事はここ10年で何回かあります。それが今年2010年或は昨年2009年から起きている事態であります。哀しく淋しい話ですが、相手の幸せを願うにはこれしか無いと私は思います。故に、再び4、5年前の惨劇がまたありそうな気配が今しています」
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