goo

急行特急TH発日曜深夜夜話その2見つけた言葉

2009年07月06日 01時50分15秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
ある所で見つけた言葉。
朝に「希望」という2文字は持てない。絶望とまでは行かないが、「またか」とか「もうか」という言葉しか出ない。決して、前進的な言葉は出ない。
“Morning on”に涼風鈴子を出して、必死になって反前進的な心情を形にしないようにしている訳ではなく、単純に出し続けて来たのでズルズルと出し続けているだけである。馬鹿も良いところだが、同じの事の繰り返しが良い訳は無い。
昼は努力。一体、自分はどこまで出来ているのかは知れない。出来ていないんじゃないかとさえ思う事もある。努力は言葉としての実態はあるにしても、その中身は漠然としている様な気がする。
目に見えて見えない努力という2文字、しかもどうみても努めるというよりかは「自然」という2文字からすんなりと突き進んだ姿を観てというか解り、自分自身の不甲斐成さなや不進化の姿、あるいは、裸の王様と化していた自分自身を突き付けられ、愕然したのは先おとといの事だった。
そんなままに迎える朝に、希望という2文字なんて私ははっきり言って描けない。あるのは絶望なんじゃないか、とさえ思ってしまうのは、悲劇のヒロインを演じたいのではなく、事実を言ったまでである。今はあまり気にしていないが、あと数時間もすれば…という感じである。
少し物事に完璧を求め過ぎたり、頭を難くして考えてい過ぎな面があるのかも知れないが、私は「適当」という2文字についてその中身がどうなっているのか、世間レベルでは、何処までが許される「適当」なのか解らない。ひどく「曖昧・漠然」とした物の様にそれは思うのだが、どうであろうか?
話がまたしてもそれてしまったが、話を脱線させるの癖が私にはどうもあるらしく2年前の秋の中頃にそれをさらりと指摘された事があったが、1つの話の中には、場合場合によっては複数の要素が加わるので、本論から外れた事も関連するものとしてついつい入れてしまうが、完全に語り手の自己満足である事を認識しつつも止めやれないでいる私は単なる愚か者でしかない。
さて、夜は感謝に眠るとこうあるが、今は夜。しかし感謝に今は眠れず、記事更新をカタカタしている真っ只中。確かに1日無事に終えられた事は、感謝の2つがかっちりと嵌まるが、その1日の無事の影に、沢山の犠牲が私の場合は孕んでいる様なのだ。自分では実感出来ぬ所の「我が儘勘定」がそこにあるみたいだが、無自覚というか自覚のし難い話である。考えてみれば、かくいうお前だってそうなんじゃないか、まるで逆ギレだが、そう思えてしまう。
世を生き抜くのは非常にシビアな物で、言葉時として、実体に作用しない面があるのは言うまでもないが、所謂、「キレイゴト」とさえ取れる「前進的な言葉(解りやすく言えば、私の嫌いな言葉‘‘ポジティウ゛,,)」を口する事こそ正しいとされるのもどうかしている気がする。何回も言っているが、「言葉のインフレ」により、重要な言葉すら意味を成さなくなっていることは言うまでもない。
夜中に力入れて語ってどーするよと言うと言われそうだが、この画像を観ながら思ったことを書いてみた。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。