
22年前1995年を思い出すの話の続き――に近い話。
一夜寝て目覚めれば、胸を踊らせるような、胸踊るような日が来る、そう夢見るようになったのは、1997年以降の4から5年間だったなと思う。
とは言え、その「胸を踊らせるような、胸踊るような日が来る」ことは夢見ても、具体的に、どんな風な?と言う物がなく、漠然としていた。その漠然の中で、素敵な物・者に出会う事を私は、望んでいたんだと思う。
物・者に出会えはしても、心の底から満たされたのは一瞬でしかなく、殊、者に関しては、手放したり手離れたりで、ガッタガタである。
季節は、春へと向かう中で、ここ何年か、「胸を踊らせるような、胸踊るような日が来る」と言う期待はおろか夢さえ抱けず辛い現実に押し潰されていて、過去、なんの根拠もあてもなく、ただ動物的感や空しい強い思い込み・妄想であったとしても、我が心が躍動した、「胸を踊らせるような、胸踊るような日が来る」と言うものが、また現れないかと思ってみる。だが、やっぱりそこに具体的な構想図がなく、つきまとう現実が、「時間切れ・手遅れ」とカードを突きつけてくるむなしさがある。
大人になった、と言えばそれはそうかも知れないが、辛く苦しい現実をみるばかりが大人になる事ではないと未だに思うのは、我が心がただ幼いが故だろうか?
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